「18年に腹を、今度は背中を刺された」
「私は(2018年に)腹を刺され、今日も政治的権力の乱用で背中を刺された」。6月30日付ロイターによれば、選挙高裁で被選挙権剥奪判決が出たのを受けて、ボルソナロ前大統領はそうコメントした(1)。この公判は30日に5票対2票で結審し、政治権力乱用と国営メディア悪用の罪で前大統領の8年間の立候補資格剥奪を決定した。
ボルソナロのコメントを読みながら、この状況で絶望するのでなく、むしろしたたかに利用しようとしていると感じた。
今のボルソナロと同様に、18年の選挙時、ルーラは汚職で2審判決有罪となって立候補資格取り消しになっていた。その代替え候補のハダジ氏に、世論調査で直前まで負けていたボルソナロだが、極左政党PSOLの元党員にナイフで刺された事件で同情票が集まり、一気に支持率を上げて奇跡的に勝った。その再現を狙っているようにも見える。
昨年の選挙でブラジル社会は完全に二分され、ボルソナロの得票率49・1%に対し、ルーラは50・9%で辛勝した。国民の直接投票で選ばれる大統領選ではルーラは勝ったが、連邦議会ではボルソナロ支持者が多い右派政治家が圧勝した。もしブラジルが日本のように国会議員の最大派閥から首相が選ばれる議院内閣制なら、ボルソナロ側の勝ちだった。
薄氷を踏むような選挙戦の中で左派が競り勝った。勝った側が政権を握り、司法などの権力を使って負けた側を責めるのは政治の常だ。
国民のほぼ半分が支持した前大統領が今回、8年間出馬を禁じられた。この裁判結果を来年の地方選挙に向けて、支持者の関心を高めるように持っていこうとしている。ボルソナロは立候補資格を剥奪されたが、政治的には生きており、むしろこの判決によって存在感を高めた。
選挙高裁だけで他に15件もの訴訟を抱えており、さらに幾つもの有罪判決が重ねられる可能性がある。だが立候補資格の剥奪期間がこれ以上延びる訳ではないと報じられている。
ボルソナロ側の言い分
7月1日付プレノ・ニュース《マラファイア「ボルソナロは盗んだからでなく、意見を言ったから資格を失った」》(2)によれば、ボルソナロ派の急先鋒、福音派キリスト教団のマラファイア教祖は、「まったく恥ずかしい。彼は選挙制度をよくするために選挙高裁や最高裁に対して意見しただけなのに、それが犯罪になるとは。ボルソナロが本気でクーデターをやる気があれば憲法142条を使って軍を動員していたはずだが、彼はそれをやらなかった」と弁護している。
さらに「ルーラとジウマは史上最大の汚職疑惑があるのに、政治的な権利を保護された。これは最高裁の判事たちが仕組んだことだ」と批判した。この種の言い分が、今後ボルソナロ派の間では強化されていく。
7月1日付テラ《ボルソナロが迫害について語り、逮捕の可能性について「何でも起こり得る」と発言》(3)で、ボルソナロは《「ブラジルで何か公正なものはありますか? 私は6カ月間政府の職を離れていた。1月8日にブラジルにさえいなかったが、私への迫害はずっと続いている」と抗議し、記者団からの「逮捕されるのが怖いですか?」との質問に「何でも起こり得る」と語った》
その上で彼は《「(ブラジルは)これからどこへ向かうのか? 何を求めているのか? 全てが私をどかすことを示している。ルーラは民主主義者か? 私は汚職についてもう言わない。ルーラは平和と愛か? ルーラはブラジルを解決に導くか? ルーラは嫌悪を減らしたか?」》と問いかけた。
立候補資格剥奪から蘇った先輩はルーラ
6月30日付BBCブラジル《ボルソナロ氏は不適格:選挙高裁判決後の司法と政治における前大統領の代替案》(4)には、政治学者のジェフェルソン・バルボザ氏に取材し、以下のコメントを掲載した。
《(前)大統領が有罪判決を受けても、今後8年間本当に資格がないことを保証するものではないと私たちは知っている。結局、ブラジルの政治的方向性は近年非常に不安定だ。現大統領ルーラ自身がそうだ。彼は政治家として罪を問われ、逮捕された。ボルソナロ支持層は、彼が再び立候補できるようになるとの可能性を考慮しておらず、ましてや選挙での勝利など考えもしなかった》と指摘した。
第2審判決でも汚職有罪が出されていたルーラのラヴァ・ジャット裁判で、2021年3月に大どんでん返しを始めたのはエジソン・ファキン最高裁判事だ。ニッケイ新聞21年3月16日付《ルーラ裁判無効化の裏側で何が起きているのか?》(5)にその間の経緯がある。
ファキン判事は2015年6月、ルーラの後継者ジウマ大統領(当時)によって指名された。ボルソナロが選んだ最高裁判事には右派寄りの判断が出る傾向があるのと同様のことが、PT大統領が選んだ判事に起きても何の不思議もない。
現在の最高裁判事11人中、実に7人がPT指名だ。ルーラ指名は先日の彼の個人弁護士クリスチアーノ・ザニン、カルメン・ルシア、ジアス・トフォリの3人。ジウマがルイス・フックス、ローザ・ウェベル、ルイス・バローゾ、エジソン・ファキンの4人。
ボルソナロ指名の判事が右寄り判決を出した時、伯字メディアは枕詞のように「ボルソナロが指名した◎◎判事は」と書くが、PTの判事が今年に入って次々にラヴァ・ジャット判決を無効化していても、記事中に「PTが指名した◎◎判事は」とは書かない。これは大手メディアの立ち位置を示している。
例えば、6月30日付ヴェージャ誌サイト《トフォリはリシャと岡本ほか6人に関するオデブレヒトの証拠を無効化》(6)は、ラヴァ・ジャット裁判の中で汚職暴露の中心を担ったゼネコン企業オデブレヒトが出した書類を無効化するもの。言うまでもなく、岡本は「ルーラの親友」として有名だ。今週だけで同判事は21件もの同様の無効判断を下したとある。だが、「PTが選んだ判事」とは一言もない。
今回の選挙高裁の公判でボルソナロの罪状を長々と読み上げた報告官のベネジット・ゴンサルベス判事も、08年にルーラ大統領から指名された人物だが、そのようには書かれていない。
2026年の選挙高裁長官はボルソナロ親派
今回はボルソナロに厳しい刃を突きつけた選挙高裁だが、2026年にはその長官はボルソナロが指名したカシオ・ヌネス判事の順番となり、副長官は同じくアンドレ・メンドンサ判事になる予定だ。26年の大統領選挙に直接関係するかどうか分からない。だが、ファキン判事同様の「どんでん返し」が起きる可能性は否定できない。
前述のBBCブラジル記事でバルボザ氏は《政治学者にとって、ボルソナロ氏の資格剥奪の期間は不確実である。その理由は、司法上訴の可能性だけでなく、ブラジルの政治的・社会的状況が非常に不安定であるためでもある》と端的に述べている。
バルボザ氏は、現在の連邦政府は一枚岩ではなく、多様な方向性を持つ政党の寄せ集めで形成されており、連邦議会との意思疎通もツーカーでないことが、今後の不安定要因となる可能性があると指摘している。
さらに同氏は《私たちは不確実性の瞬間を迎えています。トランピズムの状況、それが普及するかどうか》とし、米国の共和党ドナルド・トランプが2024年の大統領選に再出馬する意向であるという国際シナリオが、ブラジルに与える影響の可能性についても注視する。1月8日の事件は、2021年1月の米国国会議事堂襲撃に類似した部分があり、トランプが勢いを増す流れになるならば、それがブラジルに与える影響は間違いなく大きい。
6月30日付ドイツ国際放送局「ドイチェ ヴェレ」のトーマス・ミツル著《意見:ついにボルソナロに制限が課せられた》(7)は、次のようにブラジル司法の対応を批判する。
《裁判所は落ち目の政治家にしか手を出さないという印象がある。これはすでにルーラの場合に当てはまり、人気が高かった2006年のメンサロン・スキャンダルの被害は受けなかった。そして2017年、ラヴァ・ジャットのスキャンダルを巡る長年にわたる絶え間ないメディアの攻撃によって、ようやく有罪判決が下された。だが政治的風向きが再びルーラに有利になったため、彼は司法当局から何も恐れることはなくなった。もちろん、これはご都合主義の匂いがする。
これに対してボルソナロ支持者の間では、司法が本来あるべき盲目的かつ公平に行動する原則に従っていないという感覚がある。彼らにとって、ボルソナロの有罪判決は、体制の腐敗が想定されることのさらなる証拠だ》とする。
ボルソナロ失墜を喜ぶ保守派
保守派も一枚岩ではない。前大統領の立候補資格剥奪を喜ぶ勢力がある。6月30日付エスタード紙はジャーナリストのジョアン・ガブリエル・デ・リマ著《ボルソナロが主役を失ったことは右派にとって朗報だ》(8)とのコラムを掲載した。
いわく《ボルソナロが主役の座を失ったことは、ブラジルの右派、少なくとも自らを「リベラルな保守」と称する右派にとって朗報だ》と代弁する。
いわく、ボルソナロは保守ではなくポピュリストに過ぎない。ボルソナロはナショナリストのふりをしているが、それは主に敵の資格を剥奪するための手段であるとする。さらに政治コンサルタントのトーマス・トラウマンの言葉を借りて《本質的には、彼はポピュリスト、つまり社会の分裂を扇動しようとしている人物だ》と定義する。
そして《保守派は定義上、体制を擁護する。真に保守的な人々は1月8日のクーデター破壊行為に衝撃を受けた。リベラル派は、集団的および個人的な自由を擁護しており、これが真の保守的リベラル派をしてボルソナリズム拒否につながっている。最近の世論調査では、ほとんどの有権者がもはやボルソナロを右翼の指導者とは見ていないことが示された。彼らは別の名前を好んでいる》と主張する。
ちなみに昨年の選挙の投票日が10月2日であり、そこからの8年間なので、立候補資格はく奪期間は2030年10月2日まで。その年の大統領選挙は第1日曜日、10月6日に行われる予定なので、それには立候補可能だとブラジル選挙政治法アカデミーの会員、ジョゼ・パエス・ネト弁護士は冒頭のロイター記事で述べた。だから次回の大統領選には出られなくても、その次には出られるとの解釈だ。
同ロイター記事によれば《(ボルソナロが属するPL)党首に近い関係者によると、PL党首は、党名誉大統領であるボルソナロの選挙での強さに後押しされ、2024年の市議会選挙で当選市長の数を倍増し、1千人以上の市長を獲得したいと考えている。ボルソナロの支援を受けて、党はサンパウロ州の645の自治体のうち200の自治体で当選させることを目指している》
ボルソナロを失ったことで、保守派はむしろ後継候補選びを活性化させていく可能性がある。7月1日付ヴェージャ誌《ボルソナロ後の中道右派の後継者にタルシジオ有力》(9)によれば今のところ、サンパウロ州のタルシジオ・デ・フレイタス知事を先頭に、ミナス州知事のロメウ・ゼマ知事当たりが有力候補だが、その辺も来年の地方選挙の結果次第だろう。
無関係を装うルーラ
今回の資格剥奪判決を巡って一番喜んでいそうなルーラだが、無関係を装うコメントしか出していない。7月1日付エスタード紙《ルーラは「これは司法の問題」》(10)によれば、《これは司法の問題であり、私のではない。彼は自分が何をしたか知っている。正解すれば褒美が与えられ、間違っていれば裁かれ罰せられる。これは政府の平穏を妨げない》と記者団に語った。
それは、政権運営には不確定要素が多くあり、国民の支持や司法界からの支えがいつまで続くか分からないことを、ルーラ本人が一番よく分かっているからかもしれない。(敬称略、深)
(4)https://www.bbc.com/portuguese/articles/c4nk4xp4x85o
(5)https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210316-column.html
(7)https://www.dw.com/pt-br/opini%C3%A3o-finalmente-imp%C3%B5em-se-limites-a-bolsonaro/a-66086569