アルバレス・マッシャード文化体育農事協会(内村カルロス信之会長)主催の『第103回招魂祭』が8、9日に同地日本人墓地及び旧ブレジョン植民地第一小学校で開催され、先亡者慰霊法要や奉納芸能などが執り行われ、約7千人が来場して賑わった。9日は昼からにわか雨模様だったが、今年もロウソクを点灯する時間には雨も風も見事に止んだ。
アルバレス・マッシャードは最初の移民船・笠戸丸到着からわずか10年後の1918年に初入植が行われた。かつてはブレジョン植民地や梅弁植民地と呼ばれ、最も古い歴史を持つ日系開拓地の一つだ。
招魂祭は入植した年に始まり、現在まで続くコロニア最古の行事。中断したのはコロナ禍の2年間だけだ。103回の間に、ロウソクに点灯する時間になると雨も風も止むという〝伝説〟が生まれ、現在も続いている。
9日午前中、日本人墓地で先亡者慰霊法要が行われた。浄土真宗本願寺派安楽寺の御幸断住職が読経する中、墓地に埋葬された故人の親族らが次々に焼香した。
同文協の内村会長は「当時、交通の便もない千古不滅の大森林に引っ越し荷物を背負い、インジアナ駅より約50キロも離れた山奥に入り、不幸にして志半ばで倒れた幾多の人達、幼児を始め、父兄または婦女子たちは医薬を与えることもできずに亡くなりました。これら784名の尊い命を偲ぶ時、感無量であります。祖国神戸出航の時に交わした、故国に錦を飾るという親兄弟との約束も空しく、この地の土となられた先人たちの尊い命の全てが、今日の日系社会の礎となり、現在工業農業経済と各界に2世3世が活躍できる礎となっております」と日本語で挨拶した。
汎ソロカバナ日伯連合文化協会の纐纈俊夫会長も「勇敢に疫病や野獣と戦った先人のおかげで現在の日系社会の繁栄がある。心からの敬意と感謝を込めて、先人の平安と神のご加護を祈る」と追悼の辞を述べた。
同墓地はサンパウロ州から歴史文化財として認定されている唯一の日本人墓地。利用開始した1919年から、ジェトゥリオ・ヴァルガス大統領によって禁止される43年までに784人が埋葬された。医者が移住地にいない開拓地の時代だけに、犠牲者の約7割が3歳に満たない幼児だった。
法要の後、墓地入り口で、船田家の寄付によって建立された鳥居の開設式が開催された。1947年に静岡県人の船田万平氏が清涼飲料水メーカー「Funada」を創業し、現在ではプレジデンテ・プルデンテ地方最大の飲料企業になっている。
11時から開会式となり、ロージェル・ガスケス市長は「日本文化はこの市において最も価値のある財産。市建設のために戦ってくれた先人に感謝し、このイベントのますますの繁栄を祈る」と挨拶した。サンパウロ市から駆け付けたブラジル日本文化福祉協会の石川レナト会長は、すでに桜の苗木250本を寄付してこの場所に桜公園を作る手助けしていることを説明し、「もっと苗木を寄付する準備がある」と力強く約束した。
昼からは平田信弘さんがコーディネートした演芸発表があり、56組の日系グループが出演。およそ5時間に渡って和太鼓や民舞、カラオケ、合唱などが披露され、先人の御霊に奉納された。
午後からパラパラと雨模様となり天候が心配されたが、午後5時をまわる頃になるとパッタリと降りやみ、風も止まった。日本人墓地では、日が陰り始めると若者たちの手によって、墓石一つ一つに蝋燭が灯された。蝋燭は一つとして吹き消されることなく、静かに揺らめいていた。