小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=29

 雨は大降りとなり、なかなか止みそうにない。その時、皆の頭上で何か引き裂かれるような轟音が発し、大きな物体が近くに落ちた。瞬間、四人は身体を縮めた。律子は無意識に隆夫に寄り添っていた。房江は荷物の上にうつ伏し、浩二は樹の下から飛び出し空を仰いだ。先ほどまで拡がっていた大フィゲイラの片枝が裂けて落ち、すぐ横のコーヒー樹に覆い被さっているのが見えた。
「強風と雨の重みでフィゲイラの枝が裂けてしまったんだよ。ひどいもんだ」
 浩二が驚きの声を上げたので、一同は樹の下から出てきた。眼の前で無惨に裂かれたフィゲイラと、押し潰されたコーヒー樹を見ながら、
「もう二、三メートルこちら側に落ちていたら、私たち全滅するところだったわ」
 律子はさりげなく言った。隆夫に肩を寄せたことが少し気になったが、何も言わなかった。隆夫は黙って律子に寄り添い、コーヒー園の中に折り重なった古木の大枝を眺めた。濡れた蜜蜂が木の肌を這っていた。
 
紛 争
 
 コーヒー樹間の畝崩しと除草が一通り終る頃から、本格的な雨期に入った。土間は湿り、板壁には白い黴が生え、庭先の朽ち木には得体の知れぬ茸が生え、それが腐って臭気を漂わせた。耕地では早朝から雨降りならば休業となったが、直ぐにも降りそうな雲行きでも、出発時に降っていなければ、就労するのだった。
 その日は、十時ごろからどしゃ降りとなった。労働者は監督の合図がない限り、いくら降っても帰れないのでコーヒーの樹の下に隠れ、雨が止めば再び働きはじめる。それを繰り返しているうちに、身体はずぶ濡れになってしまう。何ともうっとうしいし、仕事は少しもはかどらない。午後の三時ごろ、やっと引き揚げのラッパが鳴り、労働者たちは救われた気持で家路についた。
 律子の家では、裏のバナナ園の傍に風呂槽を置いてあるが、その囲いが不充分で人目のある昼は入浴できない。屋根もなく、雨の日は沸かすこともできないので、屋内で行水をし、野良着を取り替えるのだ。ところが、五時頃になって雨が止んだため、就労を命ずるラッパが鳴った。律子は自分の耳を疑った。
「もうすぐ日は暮れるのになあ」

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