三権のうちで最も守られた立場の最高裁
ブラジルにおいては「三権分立」のうちの2権、連邦議会(連邦議員)や行政(大統領)は頻繁に罷免される存在だが、司法(裁判所)は比較的辞めさせられることはない。特に司法の最高位、最高裁判事は事実上アンタッチャブルだ。
2018年10月3日付スペルインテレッサンチ誌記事(1)によれば、ブラジル共和国129年間の歴史で、直接選挙で選ばれて任期を全うできた大統領は36人中12人しかいない。3分の1だ。これを1926年以降に絞るとさらに残念な結果になり、25人の大統領のうち一般投票で選出されて任期を全うしたのはわずか5人と5分の1になる。現在ではさらにボルソナロが加わり、6人となる。
1985年に民政移管されたこの30年弱に限っても、9人中2人(1992年のコーロル大統領、2016年のジウマ大統領)が罷免されている。ブラジルにおいて「大統領の座」は到達するのも難しいが、全うするも実に困難だ。
同じく、1985年に民政移管された以降、辞めさせられた連邦議員は、6月のデルタン・ダラニョル氏まで43人もいる。(2)
ところが、2016年9月14日スペルインテレッサンチ誌記事によれば、最高裁が創設されて以来125年(現時点では132年)で167人の判事がいたが、わずか1人しか解任されていない(3)。しかも1894年のことで、当時は先に就任し、後から議会の口頭試問があり、その際に「法的専門知識が足りない」とのことで解任された。それもそのはず、その人物は弁護士でも裁判官でもなく医者だった・・・。任命した大統領の方に問題がある。
つまり、選挙で国民から選ばれた政治家には、実に厳しいふるいがかかる。だが、どんなに偉くても、一介の公務員でしかない最高裁判事はしっかりと守られた存在だ。
「我々はボルソナリズムを打破した」と問題発言
そんな最高裁判事の一人、ルイス・ロベルト・バローゾ氏が12日夜に全国学生同盟(UNE)の大会に出席し、「我々はボルソナリズムを打破した」と述べて波紋を呼んでいる。現最高裁副長官だから、その発言が注目されるのは当然だ。
UNEは軍政時代には反体制学生運動の中心として活動した政治組織であり、左派政治家の登竜門とも言われる。そんな組織の全国大会だけに最高裁判事出席は、民政移管後では今回が初。それだけでも偏向を疑われて当然なのに、明らかに左寄り政治発言をした。
なにが問題かと言えば、司法は本来、中立公正が建前であり、この発言は明らかに左派、もしくは労働者党側に偏っているように解釈できるからだ。セルジオ・モロ氏のラヴァ・ジャット判決が偏っていると最高裁が判断を下したが、その最高裁自体がPTを標的にして汚職疑惑を暴いたラヴァ・ジャットに対して、公平ではなかったという疑いが出てくる。
それがあったから、第2審判決でも有罪になっていたルーラが無罪となり、大統領選挙に出馬できた。全ての歯車が狂ってくる。「司法トップ機関であるはずの最高裁は、実は政治的に左派に偏っているのでは」と公平性を問われる状態は、望ましくない。
そもそもバローゾ氏(65歳、リオ州出身)は最高裁判事になる以前、敏腕左派弁護士として知られていた。その典型ともいえる案件は、ブラジルに潜伏していたイタリア人左翼過激派セザレ・バチスチの弁護士でもあったことだ。
バチスチはイタリアで4件の殺人(警察官2人、宝石商1人、肉屋1人)の罪で終身刑を言い渡され国外逃亡、国際指名手配されて2007年3月にリオで連邦警察によって逮捕された。09年に最高裁が彼に難民の地位は違法であるとの判決を下し、イタリアへの引き渡しを許可する一方、ブラジル憲法は大統領に引き渡しを拒否する権限を認めているとも宣言した。
その結果、当時のルーラ大統領は10年12月、引き渡しを認めない決定を下した。つまり、この時からバローゾ氏はルーラ側にいて、その功績もあって13年にルーラの後任のジウマ大統領が彼を最高裁判事に指名したと言われる。
バチスチをイタリアに引き渡す書類に署名したのは、ジウマを罷免に追い込んで大統領に繰り上がったテメル氏だ。PT政権がやったことをひっくり返したと言う意味で、一番痛いところを突いた大敵は、ボルソナロではなくテメルだろう。
バローゾ氏はユダヤ教徒と報道されており、1920年代に南米に来て最初はモンテビデオに定住したギリシャ系ユダヤ人の孫で、母親は17歳までそこで暮らし、地元のシオニスト運動に積極的だったという。
左派活動家上がりの印象がある法律家だから、彼の口がつい滑って「ボルソナリズムを打破した」と発言しても政治通なら驚かない。
上院議長から厳しい批判
それゆえ、13日付CNNブラジル《パシェコ氏、バローゾ氏の撤回を要求:ボルソナリズムに関する話は「不幸で、不適切で、不適当」だった》(4)によれば、ロドリゴ・パシェコ上院議長は、《最高裁判事が政治的性格のイベントに出席し、政治的な性質の演説を行うことは、私にとっては残念で不適切であり、不適当であると考えており、バローゾ判事がこのことを反省し、最終的には撤回することを望んでいる》《ルイス・ロベルト・バローゾ判事がすでに受けた攻撃が不適切であったのと同様に、バローゾ判事のUNEイベントでの演説も、明らかに非常に不適切で、不適当で、不幸なものだった》と最高裁判事へのコメントとしては異例の厳しい論調で述べた。
なぜ上院議長が批判するかと言えば、最高裁判事の弾劾プロセスの開始を判断するのがその役職だからだ。だが、15日付エスタード紙《専門家らはバローゾ大臣の弾劾の可能性は低いと指摘》(5)で《今年だけですでに最高裁判事に対する6件の弾劾請求が提出されており、最後の1件は7月5日に提出されたジルマール・メンデス判事に対するもの。昨年は11件の要請があり、2021年には25件だった。バローゾ氏は過去5年間で17件の要請があった。最も標的にされているのはアレシャンドレ・デ・モラエス判事で、19年から23年にかけて40件の弾劾請求が提出された》とある。そんなに申請があっても開始されることはない。
もし開始されたとしても上院議員3分の2、81人中の54人が承認する必要がある。現在の上院はルーラ派がかろうじて多数となっており、罷免はほぼ不可能だ。
バローゾ氏はすぐに発言撤回と謝罪
大騒ぎになったためバローゾ氏はすぐに撤回し、謝罪の声明を出した。13日付CNNブラジル《バローゾ氏はCNNに対し、ジャイール・ボルソナロ氏の有権者全員ではなく、過激派のことを指していると語った》(6)によれば、バローゾ氏は《ボルソナロ前大統領の5800万人の有権者には言及しておらず、保守的だが民主的な有権者を最大限の敬意を払っている》と弁明した。
あくまでも反民主主義的な一部の過激なボルソナロ支持者に関して「負かした」と言っただけで、全有権者の半分近い5800万人のことを言った訳ではないから偏っていないとする。
それに対して、14日付エスタード紙ジョゼ・フックス氏コラム《バローゾの演説で最高裁の〝政治的偏向〟と〝司法活動〟への批判高まる》(7)に、次のような指摘が書かれている。
《たとえ一部のアナリストが、バローゾ氏の「説明」により「撤回」したと考えているとしても、この事件は依然として多くの議論を引き起こすはずだ。最高裁判所の判事の立場に関する寛容さは際限がないように見えるが、この国で起こった「民主主義のための」運動のさなか、今回は状況がさらに複雑になった》とする。
バローゾ氏が、裁判官の行為を裁くCNJ長官に
そして、14日付CNNブラジル《バローゾ氏は裁判官の行為を裁く機関である国家法務審議会(CNJ)長官に就任する》(8)には、偏っている司法関係者がいた場合に裁くべき機関のトップに、バローゾ氏が就任することに疑問を呈している。
《司法関係者にとって政党政治的な意思表示は常に禁止されてきており、CNJはこの問題を注意深く監視してきた。2019年、評議会はこの問題に対処するため、特にソーシャルメディア上での裁判官、判事の政治的立場の表示を禁止する具体的な決議を発行した。
この問題は、2022年9月にさらに厳格な別の規制の対象となった。CNJは初めて、党政治的な意思表示禁止を理由に治安判事のソーシャルネットワークを削除した。今年5月に強制退職させられたミナスジェライス州のルドミラ・リンス・グリロ判事の事件は、CNJによるこの厳格な姿勢の一例である。
05年、判事の行為を分析するためのより公平な機関となることを目的としてCNJは設立された。10月からは、バローゾ判事が公の場で政治的発言をした裁判官の事例の分析を担当する評議会を率いることになる》と疑問を呈する。
ある意味、「最高裁判事もただの人間であり、偏ることもあれば間違うこともある」ことを分かりやすく示してくれたことを有り難く感じると同時、そんな人物だと分かっていてもCNJ長官には就任できるという現実に薄ら寒さも覚えた。
ルーラのザニン評価の真意をどう読み解くか
7月13日付UOL記事《ルーラはザニンの友人ではないと語る「最高裁での好意は決して必要ない」》(9)によれば、ルーラ氏は同日晩放送のレコルデ局ニュースで、ラヴァ・ジャット裁判で自分を無罪に導いた弁護士ザニンを最高裁判事に指名した理由をこう説明した。
「彼(ザニン)は友人ではなく、私の弁護士だ。彼は非常に有能な人物だ。ザニンが選ばれたのは、とても勉強家で、とても有能で、とても献身的で、とても真面目だからだ」と語った。8月に就任予定のザニン氏に個人的な便宜を求めることは決してないと前置きし、「私は決して悪いことをしないので、ザニンからの個人的な好意は間違いなく必要ない。私がザニンに何か言わなければならないとき、それは国家が最高裁の判事と話していることだ。個人的にルーラがお願いすることはない」と語った。
ブラジルに長く住み、当地政治家の生態をよく知る人なら、この発言を文字通りに理解する人はごく稀だろう。例えば「ザニンが選ばれたのは、いざというときの頼み事を間違いなく聞いてくれる献身的な友人だからだ」という具合に真意を解釈する人も多い。
最高裁判事という座は、名実共に司法界のトップの仕事であり、法曹界でこれ以上の肩書はない。だから10月に引退するローザ・ウェベル判事の後釜に上がっている候補には、フラビオ・ジーノ法相やパシェッコ上院議長がいる。今は大臣や上院議員であっても、数年すればただの人になる可能性が高いからだ。だが最高裁判事は75歳で定年するまで辞めさせられることはない。
現在の最高裁判事11人中、実に過半数の7氏がPT指名だ。ルーラ指名は彼の個人弁護士クリスチアーノ・ザニン、カルメン・ルシア、ジアス・トフォリの3氏。ジウマがルイス・フックス、ローザ・ウェベル、問題発言をしたルイス・バローゾ、ルーラ無罪のキッカケを作ったエジソン・ファキンの4氏だ。
米国でもトランプ大統領が送り込んだ右派最高裁判事によって、憲法の法令解釈が変わってきていることが波紋を広げている。その逆パターンは十分にあり得る。万が一にも、PT指名の判事がみなバローゾ氏のような〝政治的立場〟があるとしたら、どうなるか?(深)
(3)https://super.abril.com.br/historia/em-125-anos-de-stf-so-1-ministro-foi-afastado
(5)https://www.estadao.com.br/politica/ministro-do-supremo-pode-sofrer-impeachment-entenda-nprp/