小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=40

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 その週末、ベネジッタ親子は遠い友人を訪ねて行った。彼女たちは外出すると、帰りはたいてい真夜中となる。律子は、早速その情報を岡野に伝えた。逃避行に絶好のチャンスだ、と岡野は馬車を出すことを約束してくれた。
 田倉の家から裏の森林までは、草原が広がっている。その中に一筋の径が通じていた。薪拾いや小鳥の罠を仕掛けに行く細径だ。ここから森林を通り抜けて、耕地と隣植民地との境界まで荷物を運ばねばならない。荷物は、皆して一度に運び出さず、一人の姿が先方に消えるのを見計らって、次の者が発つ。万一、誰かに出遭っても一人の荷物なら不審がることもないだろう。
 律子は瀬戸物を背負った。ずっしりと重い。道の両側の茅は背丈ほど伸びているので遠くから見られることはない。これなら安心だ。一ヵ月も前から目論んでいたことではあるし、一家の浮沈にかかわる一大事を決行しているという緊張より、新たな出発点に立った走者の気概がこもっていた。思いつめると、男まさりの機知と勇気の湧く律子だった。
 森林の入口は蔦葛に覆われていたが、中は歩きやすい。耕地の境界まで二〇分足らずで着いた。公道の鉄条網沿いに荷物を置いて、引き返す。
 浩二や母も手伝って何回か往復した。まだ全治したとは言えない田倉に律子は肩を貸し、母は生後八ヵ月の稔を背負った。船内で痲疹を病み、上陸してからも母乳がなく、もう駄目だと思われた弟だが、一命を持ちこたえている。
 荷物の周囲に家族全員が集まった時は、もう真夜中を疾うに過ぎていた。耕地の見張りが境界を巡回するのは三時ごろだという。耕地脱出は三時以後でないと危険だ。一同は藪蚊を追いながら、時の流れを待った。
 三時を大分過ぎて、岡野の馬車がやってきた。岡野は、予め用意してきた板切れを境界線に張り巡らせてある有刺鉄線の上に渡し、自分の体重を乗せて強く二、三度押し付けた。杭に鉄線を固定していた留め金を外した。もう一段のも同じ方法ではずし、針金を上下に開いて、そこから荷物を外に出した。半時間ほどかかって馬車への荷積みは終り、最後に壊れ物を扱うようにして、田倉に鉄条網をくぐらせ、馬車に乗せた。
 馬車は二頭建てだが、家族全員が乗るには重すぎたので、馭車の岡野と太郎は歩くことにした。律子と浩二も歩いた。いつか岐かれ道にでた。

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