小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=44

 早生まれで小学校の四年生まで行った浩二は、手にした新聞を開いて、所々眼を通していたが、
「小父さん、《ランピオンの横行》とあるの、何のこと?」
 見出しだけ読んで磯田に訊く。
「徒党を組んで、ブラジルの東北地方を荒らしている盗賊団のことだよ。警察力では制圧しきれきず、軍隊を出して征討をすすめているが、神出鬼没でなかなか捕まらないんだ。言動に義賊的な面もあり、仲間入りする若者も多いと言う。戦う度に強力になり、一つの王国を築いているらしい。その内にサンパウロ州にも接近してくるんじゃないかって。騎馬隊で襲い、家畜や人の子供でもかっさらって行くという噂だ」
「そういう騎馬隊、見たいものだな」
「恐くないのか」
「ボク、日本男児だもん」
「そうか。日本も非常時で大変だろうな。我々もしっかりしなければな。国防献金をしたり」
 鍬の柄を肘の支えにしたまま、珍しい話に夢中になる浩二の頭を撫でながら、磯田は律子の作業場へ近づいて行った。
「磯田さん、子供を煽てるの上手ですね」
「いや、その通りなんだ。これからの世界はひどいことになりまっせ」
「こういう田舎でも……」
「そうだ、そうだ。仕事が第一。初生りのコーヒーの実が少しついているさかい、家庭で飲むぐらい採れまっせ」
「三年もののコーヒーでも少しは実がつくのね、大事にしますわ」
 
恋 心
 
 数本叢がっている椰子樹をシルエットにして月が昇りはじめた。月光は、乾季の野山や草木を総て灰色に抑えている。海底にも似た静けさの中で、虫の音だけが聞こえていた。植民地の中央にあるコーヒー乾燥場にも、ほのかな光は届いていた。少しばかり収穫してあるコーヒーの実を照らし、茶の香に似た薫りが辺りに漂っていた。田倉家は磯田の恩恵にあずかって、満たされたとは言えないまでも、飢えることのない生活を続けることができた。
 ひと番の親鶏が抱いていた卵が孵り、八羽の雛を連れてきた。仔豚は、もう少し成長したら、磯田さんが去勢してくれると言う。植民地の人は、大概のことを自分たちで工夫し、遣りこなす知恵と意志を持っている。味噌や醤油も作って分けてくれる。どこかの家庭で豚を堵殺すれば、植民地の人たちにそのお裾分けがくる。持ちつ持たれつの生活があって心強い。

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