小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=45

 律子たちが、岡野に勇気づけられて、夜逃げを決行したこと、また磯田の励ましも決して我田引水ではなかった。彼らの誘導があったからこそ、こうして自分たちは生き延びられたのだ。
 マラリアに罹った父は、ここしばらく高熱の反復もなく、徐々に食慾も増しているから、一、二ヵ月したら仕事に出られそうだ。
 乾季は農閑期でもあった。この時期の日曜日は、畑仕事を休んだ。酒好きの者は飲み仲間を訪問し、飲みながら日頃の鬱憤をぶちまけたり、将来の抱負を語りあった。そこへまた別の隣人が現われる。雑談は夜まで続くのだ。接待の主婦たちは大変である。在り合わせの卵焼きなどを作ってふるまった。自分たちも仲間入りして結構気晴らしにもなる。酒は、常に大きな樽で買い置きするので、幾ら飲んでも尽きることはない。
 若者たちはグループを組んで、磯田家のコーヒー乾燥場によく集まった。ことに月の照る夜は賑やかになる。律子は、月夜の若者の会合の楽しさをよく聞かされていた。貧乏性の彼女は夜の時間も、翌日の仕事の準備などに追われて、ほとんど集会に加わることはなかった。
 その夜の会合には、男女青年会を組織するから、ぜひ参加せよとの知らせだった。コーヒー乾燥場の横に転がっている大木に腰掛けた若者たちの姿が見えた。月光のほの明りでは海底の人魚のようだ。一人がギターを弾きながら歌っていた。磯田の息子の一也だった。流行の《影を慕いて》である。センチメントがよく出ている、と一同は拍手を贈った。
 律子が聞いたところでは、一也は去年日本から移住したばかりの娘さんを嫁に貰ったが、性格が合わず嫁を実家に帰した。一也がブラジル生まれの百姓であることは仲人を通じても先方に知らせてあった。それを承知で嫁いで、性格が合わない、などと言える義理ではない、一也が結婚詐欺に引っかかったのだ、と噂された。
 その頃の農村は人手不足で、娘を嫁に貰うには莫大な結納金を納めねばならず、磯田も大きな負担を抱えての嫁取りだったのだ。相手が良すぎたのだとか、指一本触れることなく帰すなんて一也もどうかしているなどと村雀はうるさかった。悲哀がこもっているのは、そうした一也への同情であり、揶揄でもあった。
「俺にもちょっと貸せよ」
 活弁(活動写真の弁士)や演劇の好きな浜野照夫がギターを受け取り、弦の調節をする。

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