小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=52

 この農場主のフォンセッカはシャンテブレー耕地の監督とも親しいということだった。後で考えたことだが、馬車が通りかかった、人手が不足している、空家がある、ということは、俺たちの追放は前以ってこの男との間に連絡があって、この農場へ連れてこられたように取れぬこともなかった。ま、そこまで詮索しなくても、生活を保証してくれたのだから感謝している」
 隆夫は、複雑な笑いを浮かべながら、馬の手綱をとって二人の娘と歩調を合わせた。
「捨てる神あれば、また拾う神あり、ってことね。でも良かったじゃないの」
「農場の一部をまかせられていてメイア(採れたコーヒーを農場主と折半する農法)だから今年はかなりの収穫になりそうだ」
「この地方はどこも豊作みたいね」
 和美が横から口をはさんだ。自分も仲間入りさせて、と言うように。
「あ、そうそう、紹介するわ。こちら、和美さんといって大変お世話になってるの」
「どうぞ、よろしく」
 と隆夫は和美に向かって頭をさげた。
「この植民地に田倉さんが入植していることを浜野さんという方から聞いて、一度訪ねたいと気にしていたんだけど……」
「わたしも聞いたわ。でも人違いではないかと思ったりして……」
 律子は、もうすっかり打ち解けていた。

 東西の道路が短縮されたことで、八代家の住むフォンセッカ植民地と添島植民地とは二キロメートルほどの隣接地となり、交流は容易になった。
 八代哲二は、その頃から短歌を作るようになり、邦字新聞に投稿もしていたので、近郊の人びとからインテリとして知られていた。容姿は端麗で、細い指に煙草をはさみ、土百姓ではありません、といった姿勢をくずさなかった。かなり神経質であったが、表面は鷹揚につくろって人あたりもいい。
 添島植民地では以前から青少年への教育を希望していたので八代なら申し分ないのではないか、と植民地の主任の磯田を介して二回ほど八代に交渉し、土曜日の夜なら、すなわち夜学なら何とかなるだろう、と承諾を得た。教室は植民地のコーヒー倉庫を利用することにし、黒板その他の教材は青年部員が造り、ガス灯を二個調達した。

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