小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=65

 そう言う父の言葉も、隆夫さんの愛国心も痛いほどよく解るわ。だけど私たちは外国に住んでいます。ここは養国です。その養国が日本の敵に廻っているのだから、何もできないじゃないの。私たちは自重すべき立場にあると思うの。日本人として祖国の勝利を願う、忠君愛国の精神は美しいし、私もその精神をもっているわ。
 最初に配耕されたとき、貴方は奴隷扱いだと言って監督に抗議し、移民は大和魂をもって一致団結し、耕地の生活を改善すべきだ、と雇用者側に反旗をひるがえしました。私は格好いいなと思ったものよ。大和魂によって耕地が住みよい理想郷に変われば、私たちだけでなく、多くの人びとの生活向上に繋がるとと思ったものだわ。しかし、そのことによって生活は改善されなかったばかりか、悪い方向に傾いてしまったでしょう。隆夫さんの手紙を読んでいると、あの時のことを思い出します。貴方が、趣意なきものに向かって突っ走っているように思えてくるの。正義の剣のつもりでも、敵性国であるこの地では邪悪の剣となりかねません。どうか、自重なさって下さい。
 薄荷や養蚕が敵性国に荷担する産業だと言われます。しかし、私たちの綿花だって火薬その他に変化するそうです。私たち二〇万を超す日本人が農生産を中止したとしても、英米を支援する多くの国家があるでしょう。私たちはもっと別な観点から世界情勢を把握すべきではないでしょうか。
 同盟国の一翼イタリアが敗れ、ドイツの戦局も危ういとされているこの頃です。そうした戦況で日本はどのように戦えるのか、考えれば暗澹となるばかりです。伝えたいことを充分に書けませんが、隆夫さんも状況判断を誤ることなく、時局を聢と見究めてください。どうぞ、堅忍不抜の精神を以って、この難局を乗り切って下さい。
 結局、私も婚期を逸して、チチア(おばさん)と呼ばれる年齢になりました。でも、家族のために精一杯勤めた、という喜びがあり、悔いることはないでしょう。
隆夫様へ律子より
 
土地騒動
 
 原始林の中を郡道とは名ばかりの、草に覆われた細道が東西に通じていた。その左側にまるで巨大な隕石でも落下したかのように、ぽっかりと青空の開けた農作地がある。そこが田倉家ほか六家族の住むカラムルー植民地であった。

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