小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=66

 昨年、山を焼いた後の湿地には焦げ死んだ鰐が見つかった。中央部の水溜りには生き残った何匹もの子鰐が水を濁してもがいているのを見かけたものだが、今では棉作地と化し、収穫のはじまった畑は、恰も真っ白な雪景色を呈していた。入植者は棉摘みに精を出し、売り値も良かったので農民の表情は明るかった。
 そうしたある日、それはドイツ軍が連合国側に降伏したと聞かされた翌日だった。数名の兵士を乗せた軍用トラックと、もう一台の自動車がやってきて田倉家の前にとまった。車を降りた大男は、手にした書類を田倉に突きつけて、
「この土地は君たちのものではない。隣接地のジャカレー耕地の一部であって、君たちは不動産詐欺師から購入したことになる」
 と言った。ブラジル語にうとい田倉に代わって浩二が前にでた。
「よく分からん。もっと詳しく説明して欲しい」
「この土地は君たちのものではない、と言っているんだ。それでこの書類にサインしなさい。事情から、無断侵入は止むを得ぬとして、今年からの作物は四分六の歩合として契約してもらおう」
「何をそんなこと、この土地はイタウーナ土地会社から正式な手続きを踏んで購入したものだ。地権もちゃんと取っている」
 浩二は言った。ただし、昨年売買契約を交わしたばかりで、地権証はまだ出ていないが、相手の手段に疑念を覚えたので浩二も高飛車にでた。
「山師から騙された契約書など役にたたない。我々はちゃんと手続きを踏んできたんだ。サインできなければ追放だ」
「正式なものか、山師に騙されたのか、役所に行って調べることにする」
「俺たちにそんな時間はないんだ」
「そんな極端な話ってないだろう」
「サインはできないのか」
「できないとも」
「それではこの土地から追放だ。さあ、みんな、この家の荷物をトラックに積み込め」
 庭先で砂糖黍をかじっていた兵士どもは、物憂い動作で腰をあげ、屋内に侵入しようとした。
「待ってくれ、君たちは何も解ろうとしない」
 浩二は入口にたちはだかった。
「邪魔をするな」
 一人の兵士が銃床で浩二を押しやった。田倉も横から家の入口をふさいだ。

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