《記者コラム》悪夢の77時間停電体験記

信号の電気が消えた町(記者撮影)

 それは金曜日、3日の午後4時頃に起こった。午前中の蒸し暑い天気が午後に崩れ、突如暴風雨が襲ってくるのはサンパウロ市の春や夏には馴染みの光景だが、この日はその時点から何か違った。猛烈な勢いで吹く風は雹を含んでおり、窓ガラスに当たると次々と鈍い音を立てた。「こんなのは珍しいな」と思ったのも束の間、電気が消えた。これが全ての始まりだった。

 この日は前日が死者の日の祝日だったことから妻と子供2人は休み。長男も連休を利用して友人と泊まりがけで海へ出かけていたため、コラム子と妻と娘がこの瞬間に居合わせた。
 夕方になると、周囲は真っ暗になった。生まれた時からサンパウロ市育ちの妻は「ここまで暗い光景は見たことがない」と言う。7月にも23時間の停電を経験したばかりだったが、「あの時もここまでは暗くならなかった。これは続くだろう」と分析した。
 翌4日の土曜日、家から徒歩5分の場所にある市南西部のショッピングセンターへ携帯電話充電のために出かけたが、通りの信号機には電気が入っておらず、さながらゾンビ映画のディストピアの趣きだった。
 ショッピングセンターは発電機を使って営業していて、各所の電源プラグには人が群がっていた。コラム子は男性用トイレにある電源プラグで充電した。
 帰宅するにはマンションの暗い非常階段を7階まで上がらなければならないのだが、この時コラム子は足を踏み外し、背中から転がり落ちた。両肘の打撲と腰の痛みで不快感はさらに増した。
 この日はパウリスタ大通りにある美容院の予約日でもあったので、停電以来不通になっていたネットの復旧状況を調べるためにも出かけた。
 そこで知ったのはリベルダーデなど中央部では停電は発生しておらず、東部などでは3日に復旧したということだった。しかしその一方で、「被害は200万世帯にも及び、復旧は火曜になる」という絶望的なニュースも流れていた。
 帰り道、市南部を走る地下鉄5号線のサンタクルス駅のショッピングセンターに立ち寄り、携帯充電コーナーに向かったがそこには長蛇の列。これもゾンビ映画のサバイバルシーンを見ているようだった。
 そして家に帰ると、死者の日のお化けの仮装よりもはるかに強い暗闇が待っていた。その夜、水道も使えなくなり、「電気、ネット、水」のない三重苦となった。
 日曜日の5日、一家は息子の迎えがてら、日中を外で過ごし、その後は自宅から徒歩20分ほどの所にある義父母のアパートで過ごした。幸い義父母のアパートには48時間ぶりに電気が戻っていた。コラム子の家は相変わらず停電したままだった。
 6日、ついに月曜日となり、昼には電力会社がようやく近所で復旧工事を始めた。大木の柳が電線に引っ掛かっていて改修作業には時間を要した。一度電気がついたがすぐに消え、ぬか喜び。その後4時間ほどまた停電した。電気が完全に戻ったのは午後9時。77時間に及ぶ、人生未体験の悪夢だった。(陽)

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