6万年前に遡る3万点の線刻岩絵群と洞窟壁画
9月にピアウイ州のカピバラ遺跡を妻と二人で訪れた。ここは面積979平方キロメートルあるセラ・ダ・カピバラ国立公園の中にある。標高500メートルの場所で、6万年前に遡る3万点の線刻岩絵群と洞窟壁画が残されていて、世界文化遺産に登録されている。
アメリカ大陸に渡った人類は、1万5千年前頃氷河期のベーリング海峡を伝っていったというのが定説で、それよりも数万年前にピアウイ州に人類がいたらしいということを、私はずいぶん前に噂に聞いていた。
ミナス州ベロ・オリゾンテ市に居住する私達は、まず飛行機でペルナンブコ州のペトロリーナに飛んだ。この町はこぎれいで垢抜けした小都市という印象を受けた。サンフランシスコ川に沿って近代的なビルが沢山建設中で、ベロ市に多い落書きや乞食も見当たらない。川向うはバイア州のジュアゼイロである。翌朝タクシーで300キロ先の距離にあるカピバラ遺跡へ向かった。
アスファルト舗装道路の両側には、マンゴー、ぶどう、ココヤシ、グアバ、アセロラ、バナナなどが大規模に栽培されていて、それらはサンフランシスコ川からの灌漑設備を利用していて、日系人農家がそれらに貢献し、川の水は生活用水としても使用しているとのことである。
ここを通り過ぎるとサボテンの一種マンダカルーが現れ、ツピー語でいうカアチンガと呼ばれる半乾燥熱帯植物が平原地帯を覆っていて、放し飼いの山羊が散乱するごみの中で草を食んでいる。妻はこのゴミを何とかしたらいいね、と何度もいう。
ニン(Nim)と呼ぶ木が平らに剪定された並木を見かける。この木は成長すると20mになる薬用植物で、虫よけにもなり我が家にも植えているが、インド原産である。タクシー運転手は以前大型トラックでブラジル中を走っていたというから、安心して任せている。ガソリンスタンドはめったにない。
5時間後サンハイムンド・ノナットという田舎町の小さなホテルに到着した。温度は40度だが、汗はあまりかかない。夕方食事に出かけたが、あちこちに、ニンが並木になっていて日陰になり、冷たいビールに羊肉がうまい。
翌朝ガイドを伴ってカピバラ遺跡へ向かう。丘陵地の中にカアチンガが広がり、ところどころに絶壁が見える。国立公園の中は舗装されていない。何百カ所もある遺跡のごく一部を早足で回る。高い断崖絶壁の下方でモコーと呼ぶ小動物が動き回っている。
そこに岩絵があちこちに顔料で描かれてあり、鹿、カピバラ、エマ、ジャガー、馬、人間の活動している絵も多い。この公園の中には川や池はなく、あるのはトラックで運んできた水を野生動物のために貯えた水があるだけだ。
今いる野生動物は鹿、アルマジロ、サル、アリクイ、タテガミオオカミ、ジャガー、クサリヘビ、アグーチ、カピバラなどで、カピバラとは先住民ツピーグアラニーの《草を食べるもの》から由来している。岩絵の多くは6千年前から1万2千年前のもので、発掘された土器類は8960年前のだそうだ。
約1万年前の頭蓋骨が発掘されたカピバラ遺跡
44万年前から36万年前、ここは海の中で100m以上にもなる絶壁はその頃できたもので、海底をはい回っていた70センチ大の三葉虫などの海洋化石が沢山発見されている。ガイドによると大昔ここには川が流れ、ランバリ、タンブアタなどの魚、ワニ、ムスン、カニなどがいた。
22万年前に地殻変動が起きて、海底が隆起した。11万5千年前、最終氷河期が始まる頃ピアウイはオアシスのようになり、赤道の近くに面し氷結することは決してなかった。そしてこの高原は熱帯湿潤森林となった。
快適な気候が続き、サーベルタイガー、オオナマケモノ、マストドン、パレオリャマ、オオアルマジロなどの巨大動物が栄えた。氷河期の末期1万2千年前頃に気候変動が起こり、湿度が下がり温度が上昇し、それが3千年間続き、巨大動物は消滅した。植生は新しい気候に適応し、カアチンガが生まれた。
今ある植物ではアロエイラ、ジュレーマプレッタ、アンジコ、バルバチモン、カラウバ、イぺー、ジャトバ、ガメレイラなどがある。
この国立公園で有名なのは、ボケロン・ダ・ペドラ・フラーダ岩陰遺跡があり、岩壁に大きな丸い穴が開いた所である。
ニエデ・ギドン女史はフランス系ブラジル人の考古学者で、現在90歳。彼女は若い頃サンパウロとパリで考古学を勉強し、その後カピバラ国立公園の設立に貢献し、その他幅広い活動を行ってきた。
カピバラ遺跡で発掘された人類の頭蓋骨Zuzuは9920年前のものである。それはミナス州のペドロ・レオポルドで発掘された1万1680年前のルジアに次ぐ古いものであり、ネグロイド(アフリカもしくはオーストラリア原人の特徴を備えている)の容貌が想起される。
人類が北米大陸へ到達したのは氷河期の1万3千年前から1万7千年前とされている。その頃は海水面が120メートル下がり、ベーリング海峡を陸伝いに渡れたようである。米ニューメキシコ州の研究チームは、このほど2万3千年前の人類の足跡を発見した。
それ以前は米ニューメキシコ州にあるクロービス文化で有名な1万3500年前のものである。中南米ではメキシコ、南米ではチリのモンテベルジ遺跡、その他ベネズエラ、ペルー、ウルグアイ、アルゼンチンなどでも古い人類の化石が見つかっている。
ホモサピエンスはアフリカで発生し、20万年前から30万年前に中央アジアやヨーロッパに移動し、インドネシア、オーストラリア、アジアや日本へ、それからベーリングを経て北米大陸へ渡ったというのが定説だ。
人類は北米の前にアフリカから南米大陸へ渡った
ギドン女史は、人類はベーリング海峡からアメリカ大陸へ渡るよりも以前に、アフリカから南米大陸へ渡ったと主張する。彼女はカピバラ遺跡で、焚火の残りで木炭を測定し、人類の4万8千年前の生活の痕跡を発見した。彼らは巨大動物と同時代にいたが、巨大動物は1万2千年前の気候変動で絶滅したという。
また、アフリカから食べ物を求めて、大西洋を西アフリカから南アメリカへ向かう南赤道海流の東から西への流れは貿易風によっても助長される。その頃の大西洋はもっと浅く、今はない島々があり、旅を楽にしたという。
カピバラ山地では、アフリカ人の特徴を持った古い頭蓋骨のほかに、アフリカにしかない寄生虫を含んだ数千年前の糞石(糞の化石)が複数の研究者によって発見されている。糞石はクロービス文化以前に、人類がここに住んでいたということを示している。
オズワルド財団のアダウト・アラウージョ氏は、糞石寄生虫はベーリングの寒さを生き延びれないし、南米にはその寄生虫はもともといない、この寄生虫はアラスカ以外のところからピアウイに着いたと思う、と言う。
ここで発見された焚火跡とみられるものが、放射性炭素年代測定を行った結果、4万8千年前から3万5千年前という結果が出た。その後の測定では6万年前よりも以前に遡る結果も出ているが、年代測定に疑問を呈したり炭跡は自然由来のもので人類と無関係と主張する学者もいる。
SEESEA NETによれば、カナダのブルーフィッシュ洞窟群では、2万年前に遡る人類の痕跡が出土した。洞窟内で人類によって解体されたとみられるマンモスやアメリカバイソン、馬、カリブーなどの動物の骨が発見されたが、放射性炭素年代測定の結果、2万5千年前まで遡ることになった。
サルが大西洋を渡ったなら人類の祖先も?
世界遺産News2002年3月17日によれば、カナダのブルーフィッシュ洞窟群を調査していたモントリオールの考古学チームは、人類は3万年前から2万年前には北アメリカで生活を始めていたという仮説を打ち出した。
ギドン女史はネイチャー誌で、南米大陸への人類の到達は今まで考えられていたよりもずいぶん早いと明記した。最初にカピバラ高地へ来た人類は、アフリカから今のピアウイ州のパルナイーバ(Delta do Parnaiba -entre San Luis e Fortaleza)の辺りに上陸した、と発表した。ヨーロッパの研究者たちは彼女の意見を受け入れたが、北米の研究者たちは反論しそれは不可能だと言い、人類はベーリングを通り1万5千年前から1万7千年前に北米へ到達したと主張した。
日本経済新聞/ナシオナルグラフィック2023年8月11日によれば、《太古のサルが大西洋を横断か。南米のサルの起源で新発見。クモザル、オマキザル、マーモセットなどの南米大陸のサルは、アフリカやアジアの霊長類とは別のグループを形成している。古生物学者たちの有力な説は、4000万年前から3200万年前にこれらのサルの祖先たちが天然のいかだのような植物に乗って大西洋を渡ってきたというものだ。大西洋を横断した動物はサルだけではなく、カピバラや齧歯類の祖先であるヒストリコグナスと呼ばれる動物たちが、アフリカから南米まで天然のいかだに乗って移動してきた可能性が高いことを示している。南米とアフリカの距離は、今では3千キロあるが、4050万年前は約1千キロしか離れていなかった》とある。
別の説より―恐らくキツネザルの祖先が流木などに乗って、アフリカ大陸からマダガスカル島にたどり着いたように、アフリカから新世界ザルの祖先がまだ狭かった大西洋を飛び石伝いに南米大陸に漂着し、ここの原生林に居を構えたに違いない。むしろこの偶然の試みは何千、何万回となされ多くは大洋に飲み込まれ膨大な失敗と死を伴ったであろう。
このようにサルでも大西洋を渡ったのだ。それならば、彼らよりずっと知恵のあるホモエレクトスがその頃わずか500キロの海峡である大西洋を渡れなかったはずがない。
ギドン女史「ブラジル人は先住民を敬わない」
ニュースバラエティサイト「カラパイア」によれば、最初のヒト亜科の祖先はいったいどこで誕生したのか。最も有力とされた説はアフリカ起源説だが、最近トルコのアナドルビウス属という説も出てきた。ヒト亜科とは、ヒト属とゴリラ、チンパンジー、ボノボといったアフリカ類人猿で構成されるグループを指す。それは870万年前のヒト亜科の祖先がヨーロッパで進化し、それからアフリカへ移住したことを示す研究結果が発表され、波紋を投じている。
他の類人猿がヒトに進化しなかったのはそれで上手くやれているから、と米スミソニアン研究所の古人類学者ブリアナポビナー氏は言う。アリはヒトと同等か、それ以上に成功している。それぞれが生息する環境にきちんと適応していて、大いに繁栄している。進化ゲームの勝利条件は、生存と生殖がすべてと、氏は説明する。
ギドン女史の嘆き。「ブラジル人は先住民を敬わないのよ。多くの人が私にこう言うの。どうしてあなたは裸で歩いているビッショ(動物)を研究しているの?ええ!!ビッショ?彼等はアメリカ大陸の最初の住民で、文化があるのよ。そういう考え方を変えなきゃ、うううーん、しかしどのようにして!!!彼等はブラジルの領土を征服したのではない。まるでポルトガル人の前には誰も住んでいなかったみたい」と。
人類の歴史、特に先史時代の歴史をたどるのは推測の域を出ない。コツコツと地道な努力をするほかしかない。将来いつまで人類が生き延びるのか、または他の種が人類にとって代わるのか、だれにもわからない。
この国立公園の林の中に周囲とそぐわない貝状の建物があるのは、自然博物館である。館内に入り、他の博物館と違うのは、上から吊り下げた台状のものに乗り、特殊な眼鏡をはめてまるでドローンで飛んでいるようにカピバラ国立公園を上空から見られる仕掛けがあることである。
旅の帰り、レマンソという小さな町に寄る。サンフランシスコ川の突き出た場所(cais)に行く。ここはまるで海だ、真っ青の色の水が広がり、対岸が見えない。近くでは数台のトラックがタンクの中に水をポンプで入れている、生活用水として遠くへ運ぶらしい。ここはソブラジニョ貯水湖で、ダムがあるそうだ。私はサンフランシスコ川の上流と河口しか知らなかったが、とにかく巨大な湖で水がきれいだ。漁船も十隻以上ある、この町は漁業で成り立っているようだ。