「ブラジルで活躍する日系企業の今」を紹介する本連載の第16回目は、SIクレオスブラジル社の川村一生(いっせい)取締役に話を聞いた。現在、同社の事業は大部分がメディカル製品とケミカル製品の販売であり、特に東レメディカル社との長年にわたるパートナーシップにより、日本から輸入した高性能の血液透析装置とその関連資材を南米全土に販売し、その装置を使った血液透析治療を提供するクリニックへの投資と技術サポートにも力を入れている。
繊維と工業製品を軸とする「事業創造型商社」
GSIクレオスブラジル社は、1973年にグンゼ産業株式会社のブラジル駐在事務所として開設され、絹の生産工場を設けて、ブラジルで製造した生糸と絹撚糸を日本や米国、ヨーロッパ、アジアに輸出する事業からスタートさせた。1988年に商社に変わってから今日までは、繊維と工業製品を軸とする「事業創造型商社」として、海外に23カ所あるGSIクレオスの拠点の一つとして、そのネットワークを活かしてグローバルにビジネスを展開している。
商社に変わった後は、事業の一つに日本食ブームの一端を担うカニカマを輸入していた時期があったが、2000年には関連会社のMGS食品工業を設立して現地生産を始めた。その後、同社の元社員が独立して事業を継続してきたというエピソードもある。
GSIクレオスは1931年に設立された林大作商店が米国へ生糸と絹撚糸の輸出を開始したのが起源で、1942年に郡是(ぐんぜ)産業と改称され、1950年代にニューヨークで現地法人が設立されてから婦人用靴下や繊維関係の染料や助剤を取り扱い始め、今日の工業製品事業の基盤が生まれた。
その後1971年にグンゼ産業、2001年にGSIクレオスと改称された。社名の由来は、「Global Sophisticated Intelligence(グローバルで洗練された知性)」の頭文字に、「クレオス」は創造(Create)、新しい方向へ(Reorient)、曙の女神(Eos)の3語を合成した造語で、曙の女神が夜明けの光を運ぶように、グローバルで洗練されたプロフェッショナル人材が、新しい商材・ビジネスを創造し、夢を現実に変えていくという意味が込められている。
同社は、それぞれの時代のニーズに応えて、日本発の高品質な製品の輸出で中国をはじめとするアジアや欧米と取引を行い、現在、海外売上比率が63・5%を占めている。
南米では健康分野でESG経営を推進
「サステナブルな社会」の実現に向けて、GSIクレオスブラジル社では特に健康分野でのESG経営を推進している。ブラジルをはじめとする南米地域では、以前から透析治療のニーズが高まっていた。それを受けて、2015年から最高水準の透析装置とその周辺機器および消耗品を南米全土で販売し、ブラジルではサンパウロとサントスで人工透析クリニックの経営にも参画している。
日系社会ではサンタクルス日本病院にも透析装置を納めている。より多くの患者が最先端の高度治療の機会を獲得することにつなげて、「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」というSDGsの達成目標に向けて取り組んでいる。
パンデミックの時期には、スイス・Livinguard社の抗ウィルス技術を施した生地を用いた布マスクや、繊維事業でこれまで培った生産のノウハウやサプライチェーンを活かしたマスクなどの衛生消耗品や医療健康用品を提供にも力を入れていた。
柔軟性がブラジル社の強み
「ブラジルは日本や他国の拠点に比べて少人数だが、柔軟性を持ってどんな商材でも業界に販売できる力がある」と、川村氏は同社の特長を語る。商社としての規模や取り組んでいる事業の立ち位置により、社名がブラジルでフォーカスされることはまだ少ないが、今後の事業発展のためには他社とのタイアップイベントなどを通して自社ブランドがもっと認知される必要があると考えている。
近年、日本では若い世代が内向き志向と評されているが、2022年10月にブラジルに赴任した川村氏は29歳。実際、同世代では、様々な理由で海外よりは内向き志向の傾向があるとのことだが、同氏は千葉県育ちで中学時代はスウェーデンで過ごし、学生時代は大学を休学して米国の会社で一年働いた。
サンパウロの生活は周囲の人にも助けられて思った以上に良く、「一生(いっせい)という名前を言うと、『うちの奥さんは二世だよ』と冗談で言われたり、自分の名前で話が弾んだことはブラジルに来るまでなかった」と、ユーモラスに日系社会の影響を受けたサンパウロならではエピソードを披露した。(取材/大浦智子)
GSIクレオスブラジル社の概要
正式名称:GSI Creos do Brasil Ltda.
所在地:サンパウロ州サンパウロ、サンロッケ
設立年月:1973年7月
従業員数:6人
事業内容:メディカル製品とケミカル製品の輸入販売