【山形県人会創立70周年記念特集】ブラジル山形県人会創立70周年祝辞=皆様のご協力に心から感謝=ブラジル山形県人会会長 佐藤マリオ

佐藤会長

 会場の皆様、おはようございます。
 本日は山形県人会70周年式典にあたり、吉村美栄子知事、森田廣県議会議長、山本信治・天童市長、安孫子常哉・山形県農業協同組合中央会副会長理事をはじめ、母県山形県より多数の慶祝団の皆様にブラジルまでお越しいただいております。またブラジルからは林禎二在ブラジル日本国特命全権大使、濵田圭司在クリチバ日本国総領事、西森ルイス連邦下院議員をはじめ、ロンドリーナ、近隣市から多数のご来賓にご臨席を賜り、さらにペルー山形県人会、パラグアイ山形県人会からも代表者にご出席いただきブラジル山形県人会創立70周年の記念式典を開催できますことはこの上ない喜びです。
 今一度、ブラジル山形県人会を代表して、心より御礼申し上げます。
 また、この場をお借りして、70周年式典開催の準備にご尽力いただいた鈴木源治(げんじ)副会長、齋藤保(たもつ)副会長はじめ県人会の役員・会員、ロンドリーナ支部の皆さま、ご協力いただいた関係者の皆さまに感謝いたします。
 ブラジル山形県人会は1953年10月4日、43人の先輩方により山形縣同郷會として発足し、以来今日まで、県人・子弟の親睦、母県山形県との交流のため活動してまいりました。その間、山形県による里帰り事業や、県費留学生、海外技術研修員事業などを通じ、ブラジルから多くの県人・子弟が日本の故郷山形県を訪れることができました。
 中でも、現在も続く技術研修員制度では、これまでに約120人の若者が山形県で研修しております。私もその一人であり、1980年に山形銀行で研修した9カ月間の経験は、今も私の中の柱の一つとなっています。
 あらためまして、山形県の長年のご協力に感謝申し上げるとともに、この会をつくり、時に自分たちのことを後回しにしながら県人の親睦と母県との絆を守り続けてきた歴代の役員、会員の先輩方に感謝と敬意を表します。
 農業をはじめ、商工業、政・官・財、医療、芸術など日本人移住者とその子弟たちはブラジル社会のあらゆる分野で大きな足跡を残しております。そして、その中には山形県にルーツを持つ人たちもおられます。
 ブドウの「ルビー・オクヤマ」、ニンニクの「Alho Chonan」はいずれも、県人の奥山孝太郎さん、長南俊さんが栽培に成功し、ブラジル農務省に登録された品種です。アチバイアでは、県人子弟の斉藤フランシスコさんが長年大規模なバラ栽培を手掛けておられます。本日、この式典会場を彩っているバラの花は、斉藤さんから寄贈していただいたものです。芸術の世界では、天童市出身の豊田豊(とよた・ゆたか)さんが、ブラジルを代表する造形作家のひとりとして今も精力的に活動を続けておられます。
 ブラジル南部に限らず、北部アマゾン地域でも、アマゾニア日伯援護協会の会長を長年お務めになった医師の生田勇治さん、県人二世でアマゾニア連邦農牧大学の学長をお務めになった沼沢末雄さんなど、現在も多くの県人、県系人が活躍しておられます。
 山形県人は、新しいものを柔軟に受け入れ、粘り強く、結果を出すために努力する人たちだと思います。この会場にいらっしゃる県人子弟の皆さんにも、その山形県人の粘り強さはきっと受け継がれており、さらに将来の世代へ伝えてほしいと願っています。
 母県との絆を守るためには、人的な交流を欠かすことができません。
ブラジルから山形県、山形県からブラジルへ1人でも多くの人が訪れる。そこで交流と、山形県への愛着が生まれる。
 そのサイクルが続いていくことで、若い時代は難しいとしても、仕事と生活が落ち着いた後に県人会を支えてくれる人たちが集まってくるのではないでしょうか。
 さらに、県人会がブラジルにおける山形県の代表として活動できる場所となることが、会の存在を補強していくと思います。
 交流の土台となるのが、日本語です。ブラジルの県人子弟の皆さんには、日本語を勉強していただきたい。交流にとどまらず、日本語を学ぶことで人生の可能性が広がっていくことを知ってほしいと思います。
 最後になりますが、山形県の訪問団の皆さまにとってこのたびのブラジル滞在が有意義なものとなりますこと、また会員の皆さま、本日式典にご参加いただいた皆様のご健康をお祈り申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。
 ありがとうございました。

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