ブラジル沖縄系コミュニティをつなぐ月刊情報紙「ウチナープレス」(https://utinapress.com.br/)の創刊25周年を祝う式典が26日午後、サンパウロ市の客家センターで開催され、約800人が盛大に祝った。1998年3月に知念マルセロ・ヴァネッサ夫妻が創刊、現在307号に達した。当日は沖縄県人会支部や舞踊やバンドなど普段、同紙記事に登場する人々がこぞって登壇し、祝宴に華を添えた。
最初に1分間の黙祷、続いて上原テリオ祭典実行委員長は「25周年にちなんでウチナープレス紙が沖縄コミュニティに敬意を示すイベントを検討していると聞き、それを友人グループに諮ったところ『それは逆だ。我々こそウチナープレスに敬意を表するべきだ』との結論に達した」とのエピソードを披露。
その上で「県人会本部であれ、支部であれ、コミュニティの無数のイベントの情報を、私たちはどうやって得ているか。ここに掲載されているような詳細な情報が他にあるだろうか。本部や支部、沖縄の価値観や文化を広めるために活躍する全ての団体、学校、道場や様々なグループやそれぞれの繋がりが今のような緊密なレベルに達したのはウチナープレスのおかげ。人々の出会いや統合を促し、全ブラジルの沖縄アイデンティティを強化にするという重要な役割を担い、継続し続けている」と熱烈に論じた。
高良律正沖縄県人会長も「在ブラジルウチナーンチュの日常や歴史を書き残し、沖縄の伝統や文化、芸能、地域行事などを広報する最も重要な手段」と位置づけ、「きっと50周年を祝うと祈念します。偉大なる挑戦ですね」とエールを送った。
同紙の知念ヴァネッサ代表取締役社長は「この25年間という長い道のりで私たちは、今は亡き多くの師匠や指導者の方々との出会いに恵まれ、貴重な教えを受けることができました。(中略)沖縄コミュニティの一員として、団結力、協調性、共感力を持って生きることができ、このような県系社会に属することは、大変誇りに思います。先人たちが築き上げた貴重な遺産を、時代の変化に負けずに守り続け、伝えていくために、その教えを記録することも私たちの使命だと確信いたします」と述べた。
玉城デニー沖縄県知事からの祝辞を島袋栄喜元県人会長が「沖縄から遠く離れた伯国の地で、沖縄文化芸能等の普及および県系人社会の発展に大きく貢献されていることに深く感謝の意を表します」と代読した。
続いてウチナープレスからの功労賞が故上原武雄氏、故花城ジョルジ氏、故大城竹友氏の遺族に授与され、感謝状が壇上の37人に渡された。授与者を代表して与儀昭雄(あけお)氏は「創刊前は本部と支部の連絡が難しかった。ウチナープレスのおかげでそれが円滑になった。琉球民謡も何を唄っているのか分からなかったが、ポ語で解説記事を出してくれ、僕らも理解できるようになった」と役割の重要さを強調した。
その後、演芸プログラムとなり同紙で紹介された記事が大画面に移され、その要約がアナウンスされた後、各芸能団体が舞台に立ち全15団体が演じた。途中、斉藤悟氏がこの日のために創作した琉球舞踊「御果報」が演じられ、同紙のヴァネッサ氏も感謝の言葉を書いた垂れ幕を手に持って2カ月間特訓した舞を初披露した。
幕間には当地および日本からのメッセージ動画も映し出され、中には「島唄」で有名な宮沢和史や歌手の夏川りみ、ジアマンテスのアルベルト城間、大城ヴァネッサら沖縄関係の芸能人の祝辞も映された。
本紙取材に対してヴァネッサさんは「支部の催事や沖縄本土のニュースがなかなか手に入らない時代で、コミュニティ向けの新聞が欲しいという要望を聞き、夫が地域の新聞社に勤めていた経験があったので、私が20歳、夫が30歳の時に創刊しました。結婚した翌年でした。それから25年経ち、その間いろいろ教えていただいた先生方の多くがお亡くなりになりました。紙面に先生方の記録が残せたことがせめてもの慰めです」と先人や協力者の皆さんに感謝した。タブロイド判で24~30頁、特集号だと更に増頁。現在の発行部数は3500部。
山城勇元県人会会長は「とてもありがたい新聞。おそらくコミュニティ向けの新聞は世界でもブラジルだけでは」とその価値を強調した。
琉球大学の町田宗博名誉教授によれば、世界において沖縄系コミュニティに的を絞った新聞はウチナープレスだけとのこと。「創刊25周年の写真をSNSでみせてもらいましたが、祝賀会の参加者数に圧倒されました。ウチナープレスが沖縄系コミュニティのシンボルの一つになったかと思います」と述べた。