サンタカタリーナ州ラーモス移住地在住の本多文男さんが12月10日、同地で亡くなった。行年85歳。茨城県常陸太田出身。2017年(平成29年)秋の叙勲で旭日単光章を受章している。11日午後5時、Crematório Memorial Parque das Araucárias (Curitibanos-SC)で荼毘(だび)に付された。
1958年、「ぶらじる丸」でコチア青年として単身渡伯。サンパウロ市イタケーラの果樹園に入植後、海外移住事業団(現JICA)の嘱託職員としてラーモス移住地造成に参画し、ラーモス日伯文化協会で会長も歴任した。
同移住地八角堂の揮毫(きごう)のほか、生け花や盆栽、居合など文武に長(た)け、同居住地を支える一人だった。同地のマーク「瓢箪(ひょうたん)」も同氏の考案によるもの。また、長女の清香さんはラーモス移住地の歌「私の町ラーモス」を作詞。同曲は日本の神津善行氏作曲、山口洋子補詞で同地の曲となっている。