ビルなら14階建て相当の豪華クルーズ船
娘夫婦からパタゴニア旅行に招待された。34年ほど前に訪れて以来、「もう一度パタゴニアに行ってみたい」と前々から思っていたので大変嬉しかった。
昨年12月22日、アルゼンチンのブエノスアイレス空港で娘や息子の家族と合流して、バスで港に直行。すぐ乗船手続きをして、ノルウェイジャイアントスターという船に乗った。船長198メートル、ビルなら14階建てに相当する長さ。しかも、9万8千トンの白亜の巨体である。
乗船客は約2400人、働く船員は約2千人との事。案内された部屋は9階のベランダの有る部屋で、景色がとても良く見える部屋だった。隣の部屋は息子夫婦の部屋である。
すぐ夕方6時にブエノスアイレス港を出港。ラプラタ川の対岸のモンテビデオに一晩かけて航行。翌朝モンテビデオ着、モンテビデオでは1日市内観光、前にコチア青年のグループと来た時に見た、幌を張った6頭の牛が引く大きな銅像を懐かしく思い出した。
いよいよ夕方、パタゴニアに向けて出航。2日間の航行でパタゴニアのバルデース半島の根元にあるプエルト・マドリンに寄港。そこでは1日市内観光とバルデース半島の1部である、アザラシの群生地がある場所を観光した。
前回は、一抱えもある大きなクラゲが浜辺に沢山打ち上げられていたのを思い出した。あの時は若かったので、氷の浮かぶ様な海でちょっと海水浴をした。今回はそんな無茶な事は出来ない。
夕方、いよいよ南極に向けて南下。3日掛けて航行、チリ側のプンタ・アレーナスに行く予定だったが強風で海が荒れて港が閉じていたため、急きょウシュアイアに直行した。こちらには大きなクルーズ船が5隻も寄港していた。
ペンギン5千羽が〝直立不動〟で出迎え
ウシュアイアの街は南米大陸最南端の街であると同時に、世界でも最南端の街でもあるという。34年前に来た時は5千人ほどの小さな街であったが、この30年余りで10万人の大きな街になっていた。あちこちにビルも建っており、見違える様に立派な町になっていた。
ウシュアイアは、夏でも最高気温は摂氏15度程度。平均気温は摂氏0度という場所だ。
第1日目、ビーグル海峡を渡ってペンギンの生息している島を訪問の為、バスで1時間半ほど走って小さな港町に行った。だが、あまり風が強くてボートが出せないとのことで残念ながら引き返した。翌日もう一度出直して少し風が落ち着いたのでボートは出せるとのことである。
「ボートに乗る前に小用をしておくように」と係員に注意されたが、便所の設備もなく、野っ原で強風の中、風下に向かって勢いよく放水した。万が一、風上に向かって放水したら、身を切る様な寒風の中、まともに〝水飛沫〟を浴びることになる。
20人乗の高速ゴムボートでビーグル海峡の荒波を突っ切ってペンギンの群生する島に渡る。約5千羽のマゼランペンギンが、浜辺にずらっと〝直立不動〟で出迎えてくれたのは実に壮観であった。とはいえ、よく考えてみると、彼らに〝直立不動〟以外の立ち姿勢がとれるのかは、多少疑問ではあるが…。
所々に一回り大きな皇帝ペンギンも三々五々混じっている。マゼランペンギンは約70センチの体長、帝王ペンギンは一回り大きく約1メートルの背丈があるそうだ。
ボートを浜辺に着けると、ペンギン達がよちよちと手の届く所まで近寄ってきて歓迎してくれる。ペンギン達は1月末頃に産卵し、子育てが始まるそうである。
鼻息も荒く潮を噴き上げるクジラの大群
ウシュアイアに2日滞在して、いよいよ南氷洋に出航である。3日間の航行でいよいよ南極大陸到着。南氷洋では非常に天気が良く、風も穏やかで天気に恵まれ2日間ゆっくりと南極大陸の沿岸を航行する。
白い氷と雪に覆われた黒い岩肌とのコントラストが美しい。あまり高い山がないような平べったい延々と続く大陸である。日没は夜の11時半頃、日の出は朝の午前2時か3時ごろで1日中夜のない世界である。
雄大な南極大陸を見ながらゆったりとした航行を楽しんだ。2日目、突然クジラの大群に出会った。15頭からおそらく20頭位の鯨の大群に出会い、船を止めて、しばらくの間、その様子をじっくりと鑑賞した。
船の直ぐ近くで鯨が6、7頭一度に浮き上がって、鼻息も荒く潮を吹上げた。その鼻息の凄い事、見事であった。そして、クジラの集団見合いに出会った。それは幸運であったと思う。
我々の船を氷山と思うのか、そこに群がる人間どもを横目で見て、ペンギンだと思って居るのだろうか?
かつて日本の南氷洋捕鯨が盛んだった子供の頃、肉に飢えた我々にとって鯨テキはご馳走であったと思い出す。
いわくつきのマルビナス諸島に上陸
2日間の南氷洋の静かな航海を、いよいよ今度は帰路に着く。途中、マルビナス諸島(イギリス名「フォークランド諸島」)に寄港。ここはイギリス領である。かつてアルゼンチンが占領した時、イギリスの首相、鉄の女と言われたサッチャーがイギリス海軍を派遣し、3日で取り返したと言ういわくつきの島である。島の建物はイギリス風だ。
島では、ペンギンの群生している所までバスで旅行したが、羊の放牧が盛んだと思いきや半砂漠のような不毛地帯であった。なぜイギリスがそれまで領有にこだわるのかと考えれば、これは米カリフォルニア、メキシコ、ベネズエラ、ブラジルの東海岸、アルゼンチンに続く大油田層があるため、その石油資源を確保する為であるという話を聞いたことがある。本当かどうか知らないが、もしそうならイギリスが手放す訳が無い。
フォークランド諸島を後にして、いよいよウルグアイのプンタ・デル・エステに向かって北上。3日間の航海である。だんだん身を切るような風から春風となり、プンタ・デル・エステは真夏である。
プンタ・デル・エステの街の様子といえば、港にぎっしりとヨットがあり、海岸線には高級アパートが立ち並び、ここはヨーロッパの金持ちたちの夏の別荘地だとの事である。世の中には金持ちも沢山いるものだ。
家族で過ごした夢のような16日間
いよいよブエノスアイレスに寄港。16日間の船旅が終わった。今回は比較的上陸する機会は少なかったが、船の中でもイベントがたくさんあり飽きることがなかった。ヨーロッパ人は船の中でクリスマスイブは比較的静かに祝うようである。しかし南氷洋での年越しは、船の3階の吹き抜けの大サロンでカウントダウン。
南極で新年を迎え午前0時に新年おめでとうの大歓声。船からシャンパンが提供された。12階のプールがある甲板のすぐ前方は大きな食堂で、そこではビュッフェ形式で朝の5時から夜の11時まで自由に飲食できる。それぞれが自由にいろいろな食材を皿にとって食事する。
夕食は6階と7階に大食堂があり、三つの食堂の一つは「銀座」といい、日本食と中国料理が食べられる。そして「ベルサイユ」と言う食堂では主にフランス料理とヨーロッパ料理、そして「アクア」という名の大食堂はイタリアンや地中海料理が主だった。
夕食は家族11人が揃って大テーブルを囲んで食事をし、それぞれが自由にメニューから前菜、主菜、デザートを注文して正式な夕食である。夕食後は毎晩大劇場でショーを楽しんだ。孫達もやがて結婚適齢期。それぞれが家族を持つと1度に皆がこんなに長く一緒に生活することはおそらく少ないのではなかろうか。
本当に16日が長いようで、過ぎてみれば、あっという間に過ぎたようで、楽しい船旅であった。娘夫婦、息子夫婦に感謝したい。ありがとう。