世界的有事のたびに〝漁夫の利〟を得てきた南米
ウクライナ侵攻、ハマス危機から悪化する中東情勢、北朝鮮、台湾進攻など世界中に不穏な空気が漂っている。仏歴史人口学者のエマニュエル・トッドなどは「すでに第3次世界大戦が始まっている」とみている。中でも日本は核兵器を保有する独裁国家群に囲まれ、安穏とできない。
振り返れば、ブラジルおよび南米諸国は世界的な有事が起きるたびに、地政学的な〝漁夫の利〟を得てきた。歴史的に見て南米は戦争がごく少ない地域であり、「有事」の大半は北半球で起きる。その際、ブラジルほど食糧や資源の供給余力のある国は世界的に見て少ないからだ。
世界で一番広大な国土を持つ国はロシア、次いでカナダ、中国、米国、5番目にブラジルだ。だが上位4カ国には気候が極寒の凍土地帯、乾燥した砂漠地帯が多い。ところがブラジルは全体が温帯と亜熱帯、熱帯で農業が可能だ。
有事に巻き込まれる可能性はほぼゼロで、コモディティが豊富。そこに注目すれば、今のような不安定な時代だからこその日伯新時代のカギが見えてくる。
日本は原油輸入の90%超を中東に依存しており、中東情勢次第でエネルギー安全保障があやうくなる。そんな中で長期的にみて、新しいエネルギー供給国として望みが持てる国の一つがブラジルではないか。
後から見るように中国がブラジルに対して莫大な投資を始めている背景には、食糧とエネルギーの供給基地にしたい思惑からだろう。中国はすでに2023年のブラジルの輸出の30%を占めている。
中国がブラジルとの交易を増やすための障壁は、地理的にアジアから最も遠い場所にあるという「地理的障壁」と、メルコスルという「制度的障壁」だ。それを解消する新しい動きが昨年末立て続けに発表された。
ブラジルから原油とグリーン水素の輸入を
OPECプラスにも加入したブラジルは立派な石油産出国であり、しかもルーラ大統領は環境重視と言いつつも、実は原油採掘・生産能力拡大に向けて投資を増やしている。その潜在能力は極めて高い。加えて、エタノールの生産国としても長年の実績があり、将来的にはグリーン水素生産国として有望だとみられている。
フォーリャ紙23年10月5日付「世界初のエタノール水素を燃料とする自動車を知って」(1)にあるように現在、サンパウロ大学(USP)ではトヨタの「ミライ」を使って世界初のエタノールによる再生可能水素燃料供給ステーションを開発中だ。
次世代エネルギーの中でも「グリーン水素」は注目の的だ。これは輸送、製鉄、化学産業、発電などの分野を脱炭素化する可能性があるため、気候変動に関する議論の中心となっている。電気自動車と違って巨大なバッテリーを必要としない点もメリットだ。
水素燃料には2種類あり、この燃料で走る水素自動車は排気ガスを出さない。ただし一つ目の「ブルー水素」は、製造過程で天然ガスなどの化石資源を使うので、その過程で環境への悪影響は免れない。
もう一つ「グリーン水素」は再生可能な資源から作られるので、環境への悪影響が少ない。現在「グリーン水素」製造で最も一般的なのは太陽光や風力によって作られた電力を使用して水分子を分解する方法だ。もともとも電力の8割が水力発電だったブラジルだが、太陽光も風力も急拡大中だ。
ただし、水素燃料は輸送に困難がある。低温高圧で保管する必要があるため、物流にコストがかかり、最終製品の価格が高くなる。だがUSPのプロジェクトでは、エタノールを水素の原料として使用する新しい製造方法を開発中だ。当地のエタノールはサトウキビから生成されるため、植物としての成長過程で二酸化炭素を取り込むため、グリーン燃料として認められている。このエタノールの形で輸送して、現場で水素にするので物流問題も解決する。
この技術が実用化すれば、まさに「グリーン水素」は次世代エネルギーの筆頭になる。日本がブラジルからエタノールを輸入して水素生産すれば代替エネルギーになる。
準有事体制ともいえる現在、日本にとってエネルギー安全保障政策の幅を広げることは国益にかなう。日本はかつてセラード開発によってブラジルの利用可能な農地を飛躍的に広げて、世界一の大豆生産国になれる基盤を作った。ブラジルがエネルギー資源大国になるように後押しをすることは、日本の国益ではないか。
南米横断5ルート建設で地理的障壁を解消
そんな中、南米統合を促進してアジアへの輸送迅速化を進めて「地理的障壁」を解消する巨大プロジェクト、南米横断5ルート建設計画が昨年12月に連邦政府から発表された。
23年12月12日付エスタード紙(2)によれば、開設予定の五つのルートのうち、三つはルーラ政権終了時の2026年までに完了し、残りも2027年までに完成見込みだ。この統合により、ブラジル産品がアジア市場に届くまでの距離が約7千キロ減り、輸送時間も20日間短縮される。
特に注目されるルートとしては次の通り。
▼ブラジル北部ロライマ州ポルト・ベーリョからアクレ州リオ・ブランコを通ってペルーのリマやマタラニ(ペルーの南海岸の主要な港)に抜けるルート。
▼大農牧地帯であるブラジル北西部マット・グロッソ州からボリビアのプエルト・キハロやラパスを通って、チリ最北部の港湾都市アリカに抜けるルート。
▼農業地帯のパラナ州フォス・ド・イグアスからパラグアイを通ってチリのイキケやアントファガスタに向けるルート。
▼ブラジル最南部リオ・グランデ・ド・スル州ポルト・アレグレからウルグアイやアルゼンチンを通って、チリのコキンボまで抜けるルート。
間違いなく、南米全体への経済的インパクトは大きい。シモーネ・テベテ企画予算相の発表によれば、総額100億ドルの資金を確保している。
本コラムでも、23年5月16日付「実現するか南米大陸横断高速道=メルコスルは一帯一路に入る?」(3)で書いた。それが、想像以上に本格的な事業計画として発表された形だ。大陸横断ルート建設を成し遂げたら、ルーラ大統領は歴史に名を残すことになる。
注目すべきは、以前ならこのような大陸横断ルート建設計画を発表すると、必ず環境団体が批判を繰り広げたが、今回はそれがほぼないことだ。アンデス山脈やアマゾンのど真ん中に道路や鉄道を通す話なのに、一番怒りそうなマリーナ・シルヴァ環境・気候変動相やソニア・グアジャジャラ先住民族相が何も言わない。
この辺が、左派リーダーだが開発論者のルーラの真骨頂かもしれない。表向きには「民主主義」を謳いながら、実は中国やロシア、ベネズエラなど独裁国家と仲良くやっている政治スタイルの彼らしい政治手法だ。
確かに、このルートが開かれて一番裨益するのは中国かも。だが日本を含めたアジア全体にも利益がある。ならば、日本勢もODAを使って日本企業がルート建設に参加したらどうか。
中国建設大手がインフラ工事に続々参入
中国国内の建設業界が冷え込む中、同国の建設大手である中国鉄建(CRCC)がブラジルのインフラ投資プロジェクトに参画しており、今年4月に予定されているサンパウロ州沿岸部の高速道214キロ分とミナス・ジェライス州~リオ州間の高速道(BR‐040)のコンセッション入札に参加することが明らかになったと10日付ヴァロール紙(5)が報じた。
2件のプロジェクトを合わせると、今後30年間で120億レアル(約3600億円)以上の投資が見込まれる。これは、中国南東部深セン市で10日から開催された「ブラジル・中国ミーティング」で、中国鉄建のデン・ヨン社長が明らかにした。同社は、ブラジル政府の再工業化計画やインフラ整備は大きな投資の機会と見ており、既にバイア州サルバドール市とイタパリカ島を結ぶ全長12・4キロもある大橋の建設(6)を担当している。
中国勢は着々とブラジル国内のインフラ事業に食い込んできている。
シンガポールとのFTAで経済障壁を解消
もう一つの「制度的障壁」の解決策と思われるのは、メルコスル・シンガポールFTAの締結だ。本紙23年12月9日付「メルコスル=シンガポールと自由貿易協定」(7)には、《シンガポールはメルコスルの主要輸出先の一つで、重要な投資パートナーでもある。2022年の両者間の輸出額と輸入額の和は約100億ドルだった。ブラジルとの関係だけを見ると、22年の場合、シンガポールは世界で7番目、アジアでは中国に次ぐ第2の主要輸出市場で、約84億ドルを輸出した。投資に関しては、2021年は世界で12位のブラジルへの外国直接投資供給国だった》とある。
EUメルコスル自由貿易協定にはフランスやドイツの強力な反対があり、実現は難しい。どちらも国内農家票は重要であり、それを捨ててまでメルコスルを重視する動機は薄い。だがシンガポールはあれよあれよという間に実現した。
シンガポールは華僑が経済の中心を握る親中国家であり、ここを通して、メルコスルの農産物を中国へと免税で流れ込ませる経済的な仕組みとして機能するのではとの見方もある。
日本メルコスルFTAも以前から散々言われているが一向に進まない。中国勢はその辺を上手に〝こなして〟いる。
ブラジルが中国14億の民の食糧安全保障か
本紙11日付《深セン=ブラジル中国ミーティング開始=14億人の食糧安全保障》(8)で報じたように《カチア・アブレウ上議(進歩党・PP、元農相)は、ブラジルは、14億という人口の需要に対応できずにいる中国の食糧安全保障に協力し、戦略的パートナーとなる用意があると強調。「中国への最大のコモディティ供給国だった米国が貿易戦争で失った空席を、ブラジルが占めることが期待されている」と同上議は語った。物流についても、ブラジル縦断鉄道プロジェクト「フェログロン」(穀物鉄道)実現が、マット・グロッソ州からパラー州への積出し上の問題の解決策となり、欧州やアジア向けの輸出が促進される可能性があると指摘した》(9)と報じた。
中国が食糧供給元を米国からブラジルに乗り換えることは、BRICSという新興国家グループ内の経済活動を活性化するだけでなく、農業大国としての米国に大打撃を与えることにもなる、中国には一石二鳥の政策だ。
ブラジル・中国間のビザ有効期限を10年に延長
19日付アンタゴニスタ・サイト記事「ブラジルと中国の合意によりビザの有効期間が2倍」(10)によれば、《ブラジルと中国は今週金曜日、19日、両国間のビザの有効期間を5年から10年に倍増する協定に署名した。この署名は、中国外相の王毅氏のブラジル訪問中に行われた。
ブラジル外務省によると、この協定が発効すると、両国の領事当局は最長10年間有効なビザの発給が可能となり、現在の最長発給期間の2倍となる》とある。
ブラジル法務省サイトで23年3月時点のビザ発給状況を見ると、外国人に出された労働ビザは計350件で、うち3分の1の114件が中国人に発給。実は日本人は2番目に多いが、それでも58件と中国人の半分だ。それだけ伯中交易が盛んになり、ビジネス環境を整備するためにビザ有効期間を倍増させたのだとわかる。
今まで説明してきた動きの大半はこの12月、1月に起きた。本年4月の「ブラジル・中国交樹立50周年」というタイミングを目指して着々と進められてきた。11月にG20首脳サミットで習近平国家主席がブラジル訪問する際には、盛大な歓迎行事があるかもしれない。実に用意周到、見事なお手並みだ。
一方、来年「日伯外交樹立130周年」を迎える日本政府も、うかうかとしていられない。ブラジルをエネルギー資源大国に押し上げるための試みに参画して、日本のエネルギー安全保障の幅を広げる政策に踏み出してはどうか。(深)
(3)https://www.brasilnippou.com/2023/230516-column.html
(6)https://www.brasilnippou.com/2024/240118-14brasil.html
(7)https://www.brasilnippou.com/2023/231209-14brasil.html