在住者レポート「アルゼンチンは今」初日系市議が誕生、永田氏=ブエノスアイレス市議会で=相川知子

1月9日、在アルゼンチン日本大使館にて山内大使閣下に謁見する永田市議(右、https://twitter.com/sebnagata/status/1744774732547821987)
祖父の永田すみお氏

 ブエノスアイレス市議会に初の日系議員が誕生しました。20世紀初頭の戦前に、熊本県菊池から移住した永田すみお氏の孫である永田セバスティアン氏(48歳、3世)は、国立ブエノスアイレス大学を卒業し、会計士および経営学士としての学位を取得しました。
 永田氏はブエノスアイレス市内のカンガージョ学院中高等部で教鞭をとる傍ら、同市人権局の市民権局長を経て、2年間にわたり市議会バモス・フントスの政務官を務めました。2023年12月10日には、新たな国および市の政権が発足し、永田氏氏はブエノスアイレス市コンフィアンサ・プブリカ(公共信頼党、党首グラシエラ・オカーニャ)の議員として活動することになりました。
 永田氏の父である永田カルロス氏は、アルゼンチンで大多数を占めるイタリア系アルゼンチン人と結婚し、セバスティアン氏は双方のルーツを持つ家庭で育ちました。

市議会に提案した文面(ブエノスアイレス市市議会は2024年1月1日発生地震による犠牲者へ哀悼と、避難することになった人々への連帯の気持ちを表明する書面、提案者=永田セバスティアン、1月2日付)

能登半島地震へお見舞いを市議会に提案

 永田市議は、議員として初の主体提案として、2024年1月1日に発生した能登半島地震へのお見舞いメッセージを市議会から送ることを提案しました。市議会議長による手紙を在アルゼンチン日本大使館の特命全権大使である山内弘志閣下に謁見し、ブエノスアイレス市民の声としてメッセージを伝えました。

高齢者支援を重視し、未来の若者の教育に貢献

 新日系市議にインタビューすると、日本との関係についてなど、市議会に留まらないアルゼンチンの将来についても触れました。

 ▽記者「日本との関係について教えてください。今まで日系社会との関係はありましたか」
 ▽永田「祖母を大事にする日本人の息子である父親を見て育ちました。高齢者は老人ではなく、賢人であると父は教えてくれました。祖父は残念ながらもう亡くなっていましたが、祖母のコダマ・スエは熊本県人会に父を連れ出席していました。私も子どものころ、連れて行ってもらったことがあります。会合で御寿司が出て、今はアルゼンチン人も大好きですが、当時は珍しい食べ物で、最初は食べるのを躊躇したことを覚えています。ティントレリア(洗濯屋)を家族で営んでいたのですが、店を継ぐのではなく、やはり勉強し、また目標をもって進むこと、その目標に到達するためには努力が必要であり、ときには犠牲を払わなければならないことも教わりました。そのような日本人の価値観を持って育ちました。ですが日系社会とは少年の頃、ホセ・セ・パス(サルミエント日本人会)での日系卓球大会に出場したりしたことぐらいです」

在アルゼンチン熊本県人会録から。祖母のスエと父永田カルロス(提供=永田セバスティアン)

 ▽記者「ブエノスアイレス市議会議員としての抱負をお願いします」
 ▽永田「市民の声を代弁するために、政治の道に進みました。高齢者問題に焦点を当てたいと考えています。ブエノスアイレス市も世界の大都市の例に違わず高齢化が進んでいます。経済問題のため、市民の生活、特に高齢者に影響があります。高齢者には、昔とは違う制度や手続きの理解がしづらい状況があります。恩恵があってもそれを享受できず困っています。そのため、そんな人々に手を差し伸べる必要があると感じています」

 ▽記者「日本の敬老の精神の賜物でしょうか」
 ▽永田「そうですね。敬老の精神という教えは私に根付いているものですね。それから若い世代への未来を築く活動も重要だと感じます。教師の仕事は今も続けていますが、若い人達に自分が学んだことを引き継いでもらうというよりも、学ぶ機会を得て、成長したそのお返しをするという意味で青少年教育に貢献したいと思っています。ですからこれから様々な訪問を行い、地域の真の要望を知り、住民の生活の質を向上させるために、予算委員会に参加しています。会計士ですし、税金の配分をうまく行うことなどに注視したいと思います」

ブエノスアイレス日本庭園での壁画落成式にて(提供、亜日文化財団、https://www.facebook.com/jardinjapones)

 ▽記者「日本語や日本文化を学んだことはありますか」
 ▽永田「父は日本語学校に、今の日亜学院に通っていましたが、私は全くです。でも、『こんにちは遊び』をよくやっていました。単純に『こんにちは』と挨拶して『ありがとう』とお辞儀をするというだけなのですが、それをときどき小さい娘達にもやっています。娘達は日本文化が大好きで日本庭園によく行きますし、日本画家フリア先生による日本庭園での壁画の落成式にも出席しました。赤い橋(御太鼓橋)の近くで瞑想をするのも好きです。今後、機会があれば日本語を学びたいと思います」

 ▽記者「最後にアルゼンチンで政治家として活躍するための意気込みを教えてください」
 ▽永田「アルゼンチンだけではなくラテンアメリカは物事をささっと簡単に済ませる、よく考えない傾向があります。私は物事に対してじっくり時間をかけて熟考するタイプです。そして目標に向かって着実に一歩一歩進む、将来を見据えて行うことが必要だと思います。その行動がどんな影響を及ぼすのか、いい面、悪い面の両方を検討することが重要だと考えます」

1月22日、市議会を訪問。「青少年への平和文化活動も是非協力したい」ということでシンボルの平和の折り鶴を渡しました(撮影ファニプロラテンアメリカ)

日系社会では話題にのぼらない理由

 初日系市議当選が日系社会で特に話題になっていなかったので、各種方面に聞いて、次のような回答をまとめることができた。
 「そういう人が出たのは知らなかったですね。私の周り皆、政治にあまり興味がないですから」
 「アルゼンチンの日本人が政治には無関心なのは、そんなに目立つことはするものじゃないという気持ちが一番強いですね。目立つと何があるかわからないし」
 「商売しても、道を歩いても、袖の下を請求されることで苦しんできた。日本からアルゼンチンに帰国したら空港の税関でさっそく要求されるし、交通違反という言いがかりで警察に止められてもそう。働いても働いても税金でもってかれるだけ。人々のためにちゃんと使われるのならいいですよ。でも政治家の手にかかってどこかに行ってしまうから、正直あきらめています」ということであった。
 なお現在、日系政治家として、寺田アリシアチャコ州国会議員、マリオ石井ホセ・セ・パス市長が現職で有名である。
 真摯な永田市議の活躍を期待したい。これから南米日系議員ネットワークなどできないものかと思った。
(24年1月22日、ブエノスアイレス 相川知子さん投稿)

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