小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=88

「切開して見なければ解らない。ただの潰瘍かもしれない。でも、一日も早く手術をしなくてはならないことは言えます。放置すれば悪化する一方です」
  私は、母があまりにも衰弱しているので、手術に耐えられないような気がする。暫く強壮剤でも投与してからでは、と尋ねてみた。しかし医師は、もはや強壮剤の効く身体ではない、母親を励まして一日も早く手術させることだ、まだ若いし、輸血もできるから心配はない、と言った。
 医師は次の患者を気にしはじめ、私の居座りに迷惑そうな様子を見せたが、私は医師を離れてなすべき手段を知らなかった。
「お母さんは、手術をしなければ良くなる見込みはないので、貴方からも説得してあげなさい」
 医師のたどたどしい日本語に対し、私がポルトガル語で答えると、医師も自国語に切り換え、処方箋に何種かの薬名を記入した。心当たりの病院がなければと、別の用箋に手紙を認めてくれ、この病院に行くがいい、その病院から自分に連絡がくるから、母の希む日に手術を行える、と言ってくれた。私は頬の涙を拭き、医師の手から白い二葉の封筒を受け取って診療所をでた。
 
(二)
 
 私はどのようにして家路についたのか覚えていない。街の騒音も耳に入らなかった。とめどなく涙が流れた。涙を透かして窓外のネオンが多重写しの写真のように、眼の底をかすめた。
 日が昏れて、私は電車に乗っていた。前世紀の遺物のような乗り物は、私の嫌悪するものの一つで、幼時からタクシーに乗りたいとよく駄々をこねたものだが、この日は、いつの間にか電車に乗っていた。退け時の労働者たちで満員の電車に乗り込んだのは、無意識のうちに母親へ癌という病名を伝える恐ろしさに、わざわざ電車で始発駅から終着駅まで堂々巡りをし、帰宅を一刻でも延ばそうとしたのかもしれない。帰りが遅いほど母の平常心が永引くことなのだ。
 チンチン電車よ、いつまでも列を作って停まってくれ。新興都市の一部が潰瘍で麻痺したように。私の母の身体のように……

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