サンパウロ市カーニバル初日の9日、アニェンビーのサンボドロモ会場では午後11時頃、日本人39人が参加したサンバチーム「カミーザ・ヴェルデ・ブランコ」が登場した。日本人参加者の多くは駐在員やその家族。サンバダンス講師で、同チームと繋がりを持つ葛西叙江さんが参加交渉を取りまとめて実現した。
日本人参加者らは1月20、26日にサンボドロモ会場で行われた事前練習会や、1月28日にサンバチーム会館で行われた衣装受け渡し兼練習会に参加して、本番に備えた。
1月20日の初練習日は、日本人の多くが気恥ずかしさから動きが固く、歌声も小さくなりがちだった。アーラ担当者マリア・クリスチーナ・リマ・ダ・シルバさん(65)からは「もっとはじけてほしい。口パクではなく楽しく歌って」と叱咤激励する声が飛んだ。本人たちは思いきり歌い踊ったつもりでも、伯人からは「静かすぎる」と思われていた。
26日の練習会で日本人らは「見返してやろう」と意気込んで臨み、終了後にマリアさんは「前より断然よくなった。やる気がすごく伝わってきた」と感心していた。
28日午後6時30分頃の衣装受け渡しでは「部品が揃っていない」「サイズがあっていない」などの問題があったが、チームからは「足りない衣装部品は当日までに」「サイズは調整すれば大丈夫」と臨機応変さを求められた。
衣装受け渡し後に行われた練習は午後9時から午後11時まで行われ、会館内をぐるぐる回るために「(直線的な)サンボドロモ会場と違って終わりが見えないので大変」との声が聞かれた。
練習後、アーラ責任者のマリーザ・リマ・マルチンスさん(55)から、「他の参加者から歌も踊りも褒められた。私たちのチームを選んでくれて心から感謝している。当日もこの勢いで頑張りましょう」との言葉が送られた。
9日のカーニバル当日、不足部品の受け取りが衣装・山車作成現場の「ファブリカ・デ・サンバ」と同会館で行われ、全パーツの調整をし終わった午後8時頃、バスで会場へ。道中は日本人とブラジル人でテーマ曲を歌い気分を盛り上げた。
会場到着後、出演待機中に衣装部品が早速剥がれ始め、アーラ配置の入れ替え指示や、日本人通訳が入場出来ないなどのトラブルも発生したが、なんとか乗り越えた。
いよいよ出番が来ると、少し疲れた様子だった日本人らは魔法が掛かったように歌い踊り始めた。楽しそうなその様子にチームスタッフらも舞台の外側で一緒に踊りだしていた。出番後、参加者らの表情には充実感が溢れ、楽しそうに記念写真を撮っていた。
カーニバルの結果発表が行われた2月13日には参加者の家に集まり、叙江さんの解説を聞きながらサンバ観戦をした。同チームは全14チーム中12位で、来年もスペシャル・グループ枠を堅持したが、その下の2チームは降格となった。
参加した日本人女性は「ブラジルに来てまだ3カ月で、ポルトガル語の歌詞を覚えるのが大変でした。2カ月間毎日聞いて歌っていました。練習も夜遅い時間まであって安全面で心配でしたが、スタッフの皆さんが色々サポートしてくださってとても感謝。練習時はTシャツで踊っていたため、当日に初めて衣装を着たら重くて暑くて大変でした。ブラジル人たちと一緒にサンバを踊れて自分たちが受け入れられていると感じてとても嬉しかった」と語った。
マリアさんは「日本人参加者達にはすごく感謝。最初は歌も踊りも期待していませんでしたが、練習を通じて情熱と意思を見せつけられた。皆とても組織的で責任感が強く、一緒にいてとても楽しかった。一緒に参加する機会を与えてくれた叙江さんに感謝している。本当にありがとう」と語った。