小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=91

 若い頃から母は病気と切り離されなかった。父のもとに嫁いだ時二十三歳だった母は、陸上選手であり、痩せ型の娘だったそうだ。当時の青年もそういうカチカチの娘に魅力を感じなかったろうが、母は持ち前の心遣りから必要以上に父の世話をやいたらしい。初心だった父は、すっかりまいってしまったのだろう。自分の姉妹は大柄で、デブで見栄えがしないという、その反動か小柄の母に惹かれていったらしい。
 小柄の女は清楚で知的で僕の理想とまで行かないまでも、大女より感じがいい。世に言う肉付きのよいミス何々と呼ばれる女は均整は取れているとしても、何か自分には圧迫を感じる。そういう女にもてないからのひがみでなく、先天的に近寄りがたい何かがある。
 室生犀星は小柄の女を好むと、その随筆集『女ひと』に書いている。自分にも同じことが言えた。この主観は友人や肉親の言動では容易に左右されないだろう。父は若い頃から痩せ型で病的な娘を神秘的に気に入っていたらしい。二世の私だが、父の随筆は日本文で読める。在日中、小学校五年生まで通学できた。ブラジルに帰ってからもポルトガル語と並行して日語学校に通い、どちらかと言えば日本語に馴染んでいた。
 父は最初、母の兄と同じ植民地で知り合ったという。文学好きの父は青年団の文芸部を受けもち、青年好みのピクニックやスポーツを好まず、うちにこもった理屈屋であった。
「第二次大戦で、日本が勝利を収めたから祝賀会をやらにゃいかん。早めに飲食物を購入しないと品切れになる」
 と言う入植者らの言葉を頭ごなしにやっつけ、植民地きっての嫌われ者であったらしい。
 母の兄はヤブ歯科医で、町からその植民地へ出張治療に行っていた。患者の中には戦勝を信ずる者と、信じない者が半々だったので、彼は日本の勝敗には触れなかった。迂闊なことは言えないが、父とはウマが合ったらしい。その年、祖父が病没し、父はもともと百姓のうだつの上がらないのを気にしていたので、父親の死を契機に町にでて、好きだった写真修業をはじめた。
 父は元来大きな夢をもっていなかった。町にでて二、三ヵ月過ぎたある日、母の住んでいたA市で地方対抗の相撲大会が催された。父の住むB市からも選抜選手が出場した。父の知人もその中にいたので、写真館のパトロンと一緒に冷やかし半分の応援に出かけ、その町で母を見つけたという。

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