イタリア人移民150周年=子孫3千万人、強い影響残す

ビトリア市で行われたイタリア移民150周年記念イベント(17日付G1サイトの記事の一部)
ビトリア市で行われたイタリア移民150周年記念イベント(17日付G1サイトの記事の一部)

 2024年はイタリア人ブラジル移住150周年だ。ブラジル国内には現在、約3千万人のイタリア系移民の子孫がいるとされ、本国以外では米国に次ぎ、世界で2番目に大規模なコミュニティを持つ。グローボ局のテレビ番組「グローボ・レポルテル」がイタリア移民の歴史や一般社会へ与えた影響に焦点を当てた特集を放送し、17日付G1サイト(1)(2)(3)で報じた。
 1874年2月、最初のイタリア移民船「ラ・ソフィア号」がエスピリトサント州ビトリア港に到着し、388人の男女が降り立った。イタリアは先進国の中で唯一、19世紀後半に大量移民を推進した国で、数十年の間に約1100万人が祖国を離れたとされる。
 ブラジルは1888年の奴隷制廃止に伴い、人手不足のために外国移民の受け入れが本格化し、多くのイタリア人がコーヒー農園で働くために当地に足を踏み入れ、主に北東部と南部に広がった。
 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イタリアは不況や政治的不安定などの要因により、多くのイタリア人が故郷を離れることを余儀なくされ、中でもブラジルは主要な目的地の一つだった。
 しかし、多くの移民は虚偽の約束に騙された。移民会社は、ブラジルでの豊かな生活や仕事の機会を約束したが、実際には劣悪な労働条件や貧困に直面することになった。言語や文化の違いや生活環境の変化など、未知の土地での生活は容易ではなかったが、適応するため「半分イタリア人、半分ブラジル人」のスタイルを生み出したと言われる。
 ブラジルにもたらしたイタリア人移民の影響は、建築や文化など多岐に及び、彼らが手掛けた建築物は今日でも各地で見られ、彼らが持ち込んだ文化や料理はブラジルに根付いた。
 サンパウロ市モッカ区ではイタリア移民たちが100年前に築いたサッカーチーム「ジュヴェントス」への情熱が続いている。同チームは両国の影響が融合した独自のスタイルで知られており、彼らのアイデンティティや共同体の一部として重要な役割を果たしてきた。
 父がチーム創設者の一人であるアンジェロさんは「父は僕が生まれてすぐにジュヴェントスの会員登録をしに走った。だから僕は出生証明書の前にチームの会員カードを持っていた」と明かす。
 父から息子へとチームへの情熱が受け継がれることは一般的であり、アンジェロさんの結婚式ではチームのシンボルがウェディングケーキに使われるなど、ジュヴェントスへの愛情が家族の歴史の一部だ。
 イタリア移民の最初の到着地として知られるエスピリトサント州では17日に記念イベントが開催され、3千人以上が参加した。150年前の衣装、音楽、ダンスで彩られ、ブラジルに初上陸するシーンを再現した。1874年のジェノヴァからビトリア港への航海を示す、イタリア語で書かれた乗船券も配布された。イタリアの伝統料理のポレンタ(トウモロコシを挽いた粉を粥状にした料理)やパスタ0・5トン分の無料配布も行われた。

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