ブラジル漫画家協会(Abrademi、佐藤フランシスコ会長)は20日から、同協会創立と手塚治虫先生来伯の両40周年を記念した特別展示を、サンパウロ市リベルダーデ区のブラジル日本移民史料館8・9階(R. São Joaquim, 381)で開催中だ。〝マンガの神様〟手塚治虫が国際交流基金招へいで1984年9月にブラジル訪問する少し前、2月に同協会は設立された。
創立者である佐藤会長によれば、「私たちは手塚先生のブラジル訪問と同じ時期にブラジルの漫画家を集めてMASP(サンパウロ美術館)でブラジル漫画展示会をやりました。そこで手塚先生のアニメも放映され、先生もそこで講演会を行い、伯国の漫画家の作品も丁寧に見て頂きました」と懐かしそうに思い出す。
さらに佐藤会長は、「当時MASPで展示された代表的な手塚アニメの一場面を今回も展示しています。当時ブラジル漫画家協会で行われた手塚先生の特別漫画教室の写真や、その時のサンパウロ新聞の記事などが今回展示されています」と来場を呼び掛けた。
同協会が発足するきっかけは、4年ほどさかのぼる1979年だった。当時、日本の漫画を読んで育ったプロのイラストレーターとブラジルでディズニーや「モニカと仲間たち」で有名な漫画家マウリシオ・デ・ソウザのスタジオで働いていた日系人が集まって、自分たちの描いた漫画の展示会を文協でやろうと考えたのがスタートだった。
当時、佐藤会長はサンパウロ大学のジャーナリズム学科へ通いながら、パラナ州クリチーバ市にあった瀬戸クラウジオさんが編集長をするマンガ出版社グラフィパル社に漫画原稿を描いて郵便で送っていた。当地の漫画界に知り合いが多かったので、文協で展示会をするアイデアを漫画友達に話すと皆が賛同したため、1980年2月に第一回漫画展示会を文協で開催。翌1981年と82年にも展示会を行った。
83年7月にも行う予定だったが、文協の都合が合わず行わなかった。当時の尾身倍一(おみますいち)文協会長の提案によって展示会ではなく、団体組織を作ることに。何度か会議を重ねて、84年2月3日にブラジル漫画家協会の定款が出来上がり、9月に手塚治虫を迎えた。
佐藤会長は「当時、漫画教室を始めましたが、『マンガ』と言う言葉を知っている人すら少なかった時代。最初は基本的な絵の描き方を教えることにし、会報を発行して会員が書いた漫画の簡単な同人誌なども作りました」と思い出す。現在の伯国は漫画アニメ全盛期ともいえる時代だが、そんな黎明期もあったことが伺える展示となっている。記念講演会も3月17日、24日に行う予定。