小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=99

(七)
 
 父は絵画・彫刻や、建築などに興味をもち、その方面に関する書物も文芸物や哲学書と同じ比率で書棚を飾っていた。その分野においても古今の著名人の名をかなり正確に記憶しており、高校生の私などの比ではない。
 父が建築に取り掛かった土地はまだ売買契約が済んでいず、従って正式な建築許可が取れなく建築技師も引き受けてくれない。父はそれをいいことに自分自身の意匠をめぐらした。土地幅が狭い、表に店を構えているので、見てくれと見晴らしのいい造りにならぬ、予算も少ない、と言いながらも、自分なりの構想を練った。二階を客間にし、四面ガラス張りの見晴らしのいいものとし、階下を部屋と炊事場にする設計に改め、母に見せると、
「そんな、気狂いの建築みたいな家は嫌だ。客がきて二階まで茶を持ち運ぶのも大変だ」
 と彼女は言う。お客は一日に何回もあるものじゃあない。我われが毎日生活する炊事場と食堂、部屋が階下で一緒にある方が毎日の梯子段の昇降を省けるのだ。それに表が店で塞がっているから、客間を二階にすると雰囲気が明るくなる、と父は説明したが、母は世間一般のしきたりをはずしたくなかったのだろう。どうしても賛成しないので、父は初期の試案を覆して、母の希望に沿う設計に変え、化粧煉瓦や便器の類に至るまで母の希望を容れた。このように自分の感情を殺し、母の関心を買うための努力をしたことは父には嘗てないことだった。
 ある日、母は普請場を見たいと言い出し、ふらつく身体を父に支えられながら現場へ行った。二階への梯子段が切り抜き式になっていたのを見て、子供が落ちそうで嫌だ、と言えばそれも直させ、普通の階段にした。
 母は命がけのお産で私を産み、その後、永い年月を子供なしで過してきたが、近頃もう一人子供が欲しいと言った。母性とはそうしたものなのか、父はお前が病弱だから元気になったら、となだめていたが、終いには自分の弟の子供を養育する予定にしていた。階段から子供が落ちるとはそのことを指していた。私は甥や姪を連れてこなくても自分は淋しくない、一人っ子の方が気楽でいい、と言うと、母は自分の考えていることをこの娘は気に入ってくれぬ、と大粒の涙をこぼしたりした。
 
(八)
 
積木にも似たる逡巡宵の灯は
   なべてに映えて吾のみの惨

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