国立歴史美術遺産院(Iphan)は2月29日、音楽ショーロ(Choro)を53番目の無形文化遺産に認定したと同日付G1サイト(1)が報じた。
無形文化遺産とは、場所や物を指すのではなく、代々受け継がれてきた文化的知識を指す。この決定は、同組織の文化遺産諮問委員会の臨時会議で下され、22人の評議員の全会一致で承認された。
1870年、ジョアキン・カラドがリオで「フロール・アモローザ(愛らしい花)」を発表したことから始まったこの音楽は、ポルトガル語で「泣く」を意味する「chorar」が語源とされる。悲しみや苦悩などの感情を表現する音楽として愛され、シキーニャ・ゴンザーガやピシンギーニャなどが名を馳せた。
民族音楽に詳しいジャーナリストのマウロ・フェレイラ氏は、無形文化遺産に認定されたことで、ショーロがブラジル音楽史の中で重要な位置を占めていることが公式に認められたと述べている。
同氏の2月29日付コラム(2)によると、ショーロはリオの都市化プロセスの一部として生まれた。その起源は19世紀のリオにポルトガル王室が到着した1808年までさかのぼる。西洋クラシック音楽と黒人奴隷たちによるアフリカ由来の音楽が起源とされている。
ショーロはボサノヴァ誕生に影響を与えたとされるように、後に続く他のジャンルの基本形式として根付いており、その複雑なリズムと豊かなメロディによってブラジル音楽の多様性に貢献している。
ボサノヴァがリオ南部のエリート層の中で1950年代に生まれたのに対し、ショーロはリオ郊外や下町の音楽家たちが発展に重要な役割を果たした。
ショーロはギターやカヴァキーニョ(小型4弦)、バンドリン(イベリア起源のギターから派生の8弦)などの弦楽器と、フルート、パンデイロ(タンバリンに似た打楽器)で演奏され、伴奏には7弦の低音を指す「バイシャリアス」という用語が用いられる。
ショーロの父、ジョアキン・カラドや他のミュージシャンの努力によって育まれたショーロの際立つ特徴は即興演奏であり、ジャズとの関連性も深い。メディアで目立つわけではないが、サンバと同様に絶えず存在し続け、その重要性を維持している。
70年代にはラファエル・ラベーロ率いるグループ「オス・カリオキーニャス」が、このジャンルの復興と若返りに決定的な貢献を果たした。現在もリオの「ショーロ・ダ・リベイラ」とサンパウロ市の「ショーロ・ダ・キタンダ」のようなショーロを中心とするグループがあり、フェレイラ氏は「ショーロは健在。Iphanの認定はそれを裏付ける」と締めくくった。