小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=101

 母は時どきそんなことを言った。親戚の者は、表面的には、非常に心配してくれたが、心底からの愛情を注いでくれる者はいなかった。母は時どき輸血が必要となり、父は方々の親戚にあたってみるのだが、その都度、誰もが決まって口実を作り、進んで献血する者はいなかった。結局、痩身の父自身から血液を採り、まだ不足の分は日雇い人夫から買っていた。
 マイトマイシンが癌の特効薬だと勧められると、父は早速それも日本に注文した。マイトマイシンは制癌剤として発売されており、特効薬でないことを父は知っていた。日本に特効薬があるのに世界の学会が黙って癌患者を見殺しにしている筈がない。世界の医学界は一丸となって癌治療の研究を進めているが、未だに光明を見出せぬ現状なのだ。家を新築中の父は、なけなしの金で高価なマイトマイシンを取り寄せ、その薬品のレッテルを剥がして母に病名を感づかれないよう苦心していた。そういう内の苦しみを先に知ってもらいたいのは、誰よりも、まず母にではないかと思うと、辛い。
 
(九)
 
 父や母の知人、親戚、私の友人、宗教関係、写真見習い生の縁故など、これほど知己がいたのかと、今さら驚くほどの見舞い客が日ごと続いた。
 父はてんてこ舞いである。大黒柱として一家を支え、嵩む病人の費用を稼がねばならない。見舞い客を送迎し、母の機嫌をとり、医師の忠告に従って注射を打つ。時どき眩暈さえ訴えていた。
 それでも母は快方へ向かわなかった。そのうち便秘気味となり、X線写真は大きく直腸癌の影を示した。胃癌から直腸への転移は珍しいコースだと言われ、再発ではなく別個のものではないか。だとすれば手術によって持ちこたえるかもしれぬ、と嫌がる母をなだめて剔出手術を行なった。結果的には、胃から腸へかけて無数の罹患が確認され、三ヵ月から六ヵ月の寿命と診断された。
 施術に立ち合った医師の一人は、もはや人工肛門の装着さえ手遅れだと語った。ところが、母の人工肛門は効を奏した。食事もより摂れたし、便秘の苦痛が去った。家の近所を散歩したり、フェイラ(朝市)にも足を運んだ。さらに、映画やショーにも行けるようになり、間もなく全快することを信じていた。父は母に向かって、腸捻転による手術で、肛門に少し腫物があるだけだから四、五ヵ月で自然に快復する、と言い聞かせた。見舞い客にもそう説明してあった。

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