首都ブエノスで追悼「元気玉」集会
去る3月11日(日)、数千人の熱狂的な「ドラゴンボール」ファンが首都ブエノスアイレスのオベリスコに集結し、漫画家鳥山明さんへの追悼「元気玉」集会を行いました。
鳥山明さんは急性硬膜下血腫のため3月1日68歳で急逝したことが先週、鳥山氏自身の制作会社バードスタジオから「熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません」という深い悲しみに包まれた声明で発表されました。(注1 https://dragon-ball-official.com/news/01_2499.html)
3月8日(金)、鳥山明さんの訃報は全世界に報じられ、SNSでは悲しむファンの投稿が目立ちました。アルゼンチンでは、この訃報を受けてからすぐ、週末に首都ブエノスアイレスの町の象徴の白い記念塔オベリスコで結集しようという呼びかけが自発的に行われ、SNSで拡散されました。
2022年12月のワールドカップのアルゼンチンの優勝を全国民が喜びを表明するため結集した場所と同じところです。オベリスコはいわば、アルゼンチンの人たちの喜怒哀楽の表明の場でもあります。アルゼンチンは1990年代から2000年初めに鳥山明さんのドラゴンボールと続編がテレビで次々に公開され、再放送もあり、当時は幼稚園の子供達から少年、大学生まで多くの人々を魅了しました。
時には教育委員会から暴力的だから見ないようにとの反発がありましたが、その一方では他のアルゼンチンのドラマやバラエティ番組は見せてもらえなかったが「ドラゴンボール」だけは問題なかったので登校前早起きをして7時ごろから視聴していた、または下校後午後5時過ぎから、おやつを食べながらテレビを見ていたという人もいました。それにまつわる楽しい記憶が今の30歳から40代後半の間に残っています。主人公の悟空と一緒に育ったと言っても過言ではありません。
必殺技の元気玉作り、「アキラ」と叫ぶ
「元気玉」とはドラゴンボールの必殺技の一つで、主人公の悟空が両手をあげて「オラに元気をわけてくれ!」と言って、この世のあらゆる存在から少しずつ〝元気〟をわけてもらい、敵に放つ必殺技である。スペイン語でもGENKI DAMAと書きますが、ヘンキダマと発音されます。
ファンから〝元気〟を集めてエネルギーの球体を空中に作り上げるというイメージで、追悼会では会場のみんなが両手をあげて、元気玉にエネルギーを送る仕草を繰り返し、「アキラ、アキラ」という叫び声を響かせました。鳥山明さんへのトリビュートの想いを〝元気玉〟の形で伝えるという気持ちが会場で共有されました。
誰もが鳥山明さんのことは「マエストロ」(先生)と呼び、同先生への感謝を込めて、また永遠に心に生き続けるという意味で、宙に向かって賛辞の拍手を送りました。
その場に居合わせた人に話を聞くと、「鳥山明先生はアニメという日本文化にとどまらない、新しいジャンルの文化芸術遺産を形成し、残した人だった」と多くの人が語ってくれました。
親子2代そろってドラコンボールファン
中でも、会社員のペドロ・アベル・フェレール(38)さんは主人公悟空の衣装を息子のバウティスタ君(11)と一緒に身に着けていました。どこで買ったのかというと、実は2019年12月3日の息子の6歳の誕生日をドラゴンボールのテーマにして祝ったので、特別に2日がかりで自分達で縫ったものだそう。誕生日会出席者には参加記念品でドラゴンボールグッズを配ったということでした。
「ドラゴンボールはシリーズを通じて、多くの人生に役立つことを教えてくれた。私たち親と同じく息子も大ファンなので、誕生日会にはドラゴンボールをテーマにしてほしいと自分から言い出した」のだという。
「自宅にはドラゴンボールのポスターやグッズでいっぱいです。ドラゴンボールは自分達の毎日使うコップのデザインになっているだけではなく、人生の節目を飾ってくれたものです」と溌剌と語った。
結婚式の入場曲はドラコンボール主題歌
マルタ・スサナさんは2023年2月25日に結婚式を挙げたが、そのときのテーマをドラゴンボールで式場の入場テーマ曲はドラゴンボールのオープニング曲(スペイン語Mi corazon encantado、日本語ではDAN DAN 心魅かれてく)でした。もちろん招待状などのデザインも全部ドラゴンボールでした。
ドラゴンボールの特徴的な大きなギザギザのヘアスタイルを地毛で固めたククさん(29)は、今月誕生日で30歳を迎えます。そのため「生まれた時からドラゴンボールで育ったので、世界にドラゴンボールのない人生なんて考えられない」と言います。母親は暴力的な点に難色を示してしていたそうですが、番組を教えてくれた兄と一緒に、親の機嫌を損なわないようにこっそり見ていたそうです。
黒沢明、三島由紀夫、村上春樹に鳥山明
このように多くの人たちの幼少期には、毎日刻まれたドラゴンボールの記憶があります。「ドラゴンボールという作品で育まれた多くの世代との交流が可能になった感動的な瞬間だった」「ドラゴンボールのおかげでよい人になることができた」「ドラゴンボールが生き方を教えてくれた」「毎日の生活に希望が持てた」など賛辞の言葉は枚挙にいとまがありません。
スペイン語に吹き替えされたアニメだけではなく、シリーズや映画などに発展した媒体を見ていたり、日本語も読めないのに少年ジャンプに連載された原作の漫画を見てストーリーを追ったり、果てにはそのまま日本語を覚えた人もいたそうです。
アルゼンチン人の間で有名な日本人の一人として、黒沢明や三島由紀夫、近頃では村上春樹と並ぶ鳥山明先生の偉業は、その作品にとどまらない影響力を与え続けています。筆者も90年代やっと手に入れたVHS録画をまだスペイン語字幕がないので、ライブで通訳しながら見てもらったことがあります。
当時日本人である私に誇らしそうに自分たちの書いたイラストを少年達が見せてくれたことがありましたが、待ち合わせがカメロットというアニメ・マンガ専門店のお店でした。今思えばドラゴンボールのカメカメハや亀から由来の店舗名だったと思い出しました。
ドラゴンボールファンの数はもちろん多いですが、オベリスコでここまで集まり、また大勢が手をあげて丸腰のようになるので、スリや泥棒を防ぐ余地がないにもかかわらず、たくさんのファンが集まる大変穏やかな集会でした。
国境を越えて愛された鳥山明氏のマンガのスタイルはアルゼンチンのクリエイターに多大な影響を与えた、いえ、与え続けています。
そのほか第二、第三の都市、ロサリオやコルドバなどでも同様な会が開かれた(https://animeargentina.net/noticias/akira-toriyama-10-lugares-en-argentina-donde-homenajean-al-autor-de-dragon-ball/)そうです。(ブエノスアイレス 3月12日 相川知子)