サンパウロ市初の超高層ビル100周年=マルチネリ・ビルを一般開放

マルチネリ・ビルと左奥がアルチーノ・アランテス・ビル
マルチネリ・ビルと左奥がアルチーノ・アランテス・ビル

 サンパウロ市初の超高層ビル、マルチネリ・ビル(Edificio Martinelli)が今年、建設開始100周年を迎える。セントロ歴史地区にあり、14日からアートフェアやデザインフェスティバル、ガイドツアーなどの祝賀プログラムが開催され、観光客で賑わっていると13日付フォーリャ紙など(1)(2)(3)が報じた。
 これは、同ビルの地上階と高層階の運営権を獲得した「東京グループ」が運営する「M100」プロジェクトの一環。パンデミック前は同ビルの屋上テラスは無料で開放されていたが、2020年以降は一般公開されていなかった。
 建築家ロドリゴ・オオタケ氏が建築家グループ「イリャ・アルキテトゥーラ」と共同設計した新マルチネリのプロジェクトは、隣接するアルチーノ・アランテス・ビルと同様にサンパウロ市新観光名所へ変えようとしている。
 入り口はかつて様々な商業施設が入居していたサンジョアン街に面し、屋上テラスに行くエレベーター付きのエントランスホール、地下にはカフェショップ、展示スペースが設けられる。
 2階は同ビル元所有者で実業家ジュゼッペ・マルチネリ氏が住んでいた旧邸宅。25階には展示スペースとサンパウロ市の郷土料理を中心とした伯国料理を提供するレストランが入る。26階のオープン・テラスにテーブル、アームチェア、瞑想用デッキが設けられ四方を見渡せるほか屋内外のイベントスペースもできる。
 1月25日付UOLサイトなどによると、このビルはイタリア移民のジュゼッペ・マルチネリ氏によって1924年に建設開始して29年に完成した。高さは106m、30階建てという当時の建築技術としては驚異的なもので、長い間、南米で最も高い建物として存在感を示してきた。
 マルチネリ氏は渡伯当初は肉屋として働いていたが、後に事業を拡大して船会社を設立するなどして成功を収め、1920年代にはサンパウロ市で最も裕福な人物として名を馳せていた。
 同ビル建設は多くの困難に直面したといい、その一つが建設中に起きた地盤沈下で、水が湧き出すなどの問題が発生した。しかし同氏は安全性を証明するために、自ら建設現場に住みながら工事を監督し、この行動がプロジェクトの信頼性を高める上で重要な役割を果たした。
 同ビル完成直後、サンパウロ市のエリート層から注目を集めたが、1929年の世界恐慌のあおりを受け、マルチネリ氏自身が多額負債を抱えてイタリア政府に売却。その後、サンパウロ市が買い取り映画館やナイトクラブとして利用された。
 同ビルの特筆すべき点の一つはその建築様式だ。当時の欧州の様々な影響を受け、外観は豪華な装飾やユニークな色合いが特徴的で、サンパウロ市の街並みを彩る。しかし、多くの不可思議な出来事が多発したことでも有名だ。ポルターガイストや謎の金髪女性の幽霊などの怪奇現象話が繰り返し語られ、1970年代後半にはエレベーター内から人骨が見つかる未解決の犯罪事件も報告された。
 その結果、輝かしい歴史は一変してビルには人が寄り付かなくなり、一時は不法占拠されて廃墟化した時期もあった。

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