軍事独裁のきっかけとなった軍事クーデターは1964年の3月31日に始まり、4月1日に完了したとされる。丸60年となる今年、3月31日から、民主主義擁護や犠牲者追悼などのイベント、集会が続いた。その中でも特にコラム子の目を引いたのは、2日付G1サイトなど(1)(2)が報じた、2日開催の人権省恩赦委員会の記事だ。
委員会ではミナス州東部に住む先住民クレナク族とマット・グロッソ・ド・スル州に住む先住民グアラニ・カイオワ族の集団賠償訴訟が扱われた。これら2部族が起こした訴訟はボルソナロ政権下の2022年の恩赦委員会で拒絶されたが、連邦検察庁が抗告。2日は再審理だった。
これら2部族には当時、軍事独裁政権に反対する政治的言論を行う組織さえなかった。彼らの存在は同政権の進める開発プロジェクトの障害と見なされ、迫害・虐待、強制労働だけでなく、先祖伝来の土地を離れることも強いられた。
先住民族のアイデンティティを守るため、国際的な政治的影響も含めたより強力で組織的な反応が起きると、2部族は共産主義者、破壊者、政権の敵として扱われた。
これまでは個人的な訴訟だけが扱われ、部族への賠償は一切行われていない。集団賠償の要求は、2023年になって委員会の規則に盛り込まれた。
2日付G1サイトによると、同種の訴訟では金銭的な払い戻しは発生しない。だが、先住民族の場合、文書の修正や統一医療保健システム(SUS)への組み込み、土地境界画定プロセスの進歩などで、コミュニティへの権利を保証する新たな段階となる可能性があるという。
この日、最初に扱われたのはクレナク族の訴訟で、状況分析を終えた時、エネア・デ・スツッツ委員長が部族代表のジャニラ・クレナク氏の前に跪き、「あなたの祝福と、跪く許可を求めます。ブラジル国家の名において、あなた方の部族が経験した全ての苦しみに対して許しを請いたいと思います。クレナク族女系指導者のあなたに願います。このようなことが二度と起こらないよう、私達の敬意と謝意を受け取って下さい」との言葉で謝罪した。
跪いての謝罪は、部族の主要産業だった農業生産の術を失い、集落を壊され、先祖伝来の土地を追い出された歴史の生き証人で、グアラニ・カイオワ族を率いる102歳の女性指導者チト・グアラニ・カイオワ氏の前でも繰り返された。
流血を伴う迫害と領土からの追放は、現行憲法発効年を先住民保護区制定の基準とすることが現実から乖離していることも示している。連邦検察庁を通した訴訟が、軍事独裁政権下だけでなく、1947~2023年に侵された違反を挙げているのはその故かも知れない。
国家の名で許しを請うことは簡単ではないが、過去の過ちを認め、次のステップに向かう勇気はどのような場合にも必要だ。他者の前に跪き、謝罪した委員長や過去の過ちを認めた委員会の姿勢や勇気に敬意を払うと共に、苦しみを経験した人々への深い慰めを祈りたい。(み)