ブラジルで唯一日本の「2級技能士」の資格を持つ佐伯博幸さん(54歳、2世、アサイ出身)は、今では数少なくなった畳職人の一人だ。サンパウロ州北部のグァタパラ移住地で、日本で畳製造の経験があった父の知治(ともはる)さん(88歳、熊本県出身)が1965年に佐伯商工(SAEKI Indústria e Comércio Ltda)を創業。博幸さんが1989年にJICAを通して1年半ほど研修に行って、父の出身地にある熊本県畳工業組合の技能認定試験を受け、2級技能士の資格を獲得し、家業を引き継いだ。
博幸さんは、「今でこそボクも大半の作業を機械でやるようになりました。ですが子供の頃から、オヤジにゼロから手で畳を作る作業を叩きこまれていました。ですから日本で研修を受けたとき、あちらでは当時から機械で作るのが普通になっていたので、手作りの技術がある人が少なかった。だから初心者が集まる講習会に参加した時、皆さんから『どうして地球の反対側から来たのにそんなにうまいんだ』と不思議がられました」と笑う。
父知治さんはコチア青年として1960年3月に渡伯し、最初は聖市の太陽堂が日本から畳を製造する機械を取り寄せたのを機に、そこで働き始めた。その後、太陽堂が畳事業から撤退を決め、佐伯さんが1965年に事業を引き継いで独立した。
1962年に建設されたばかりのグァタパラ移住地に1970年に入植した。広い湿地を抱えた地形のグァタパラ移住地では当初、基幹産業として稲作を中心とした農業が構想されていた。そのため、畳に必要な藁が簡単に手に入ると考えて、移った。
ただし現実には稲作は基幹作物として定着せず、自分で稲作をして藁を作ったり、付近の伯人稲作農家などを回って藁を買い集めるなどしていたが、そのうちに藁自体を畳に使わなくなる時代になった。
日本語が堪能な佐伯さんは、パンデミック前まで日本語教師としても活躍していた。
「Tatami de Junco」(サイトhttps://www.tatamidejunco.com.br/)というブランド名で全伯の指圧師やヨガ教室、茶道や生け花の愛好家など日本文化好きが高じて自宅に日本間を作る伯人富裕層、日本食レストランなどに広く使われており、「お客さんは日系人と日本文化に興味がある伯人が半々ぐらい」だという。