「わたしゃ日本が好きだよ、日本語で話せることが嬉しい。遠いところへ来てくれてありがとう」。昨年6月、配属先で活動を始めたばかりの時、1世のおばあちゃんからもらった言葉だ。慣れないブラジルでの生活に緊張していた心が、少し楽になったのを覚えている。
最南部リオ・グランデ・ド・スル州ポルト・アレグレ市の南日伯援護協会に配属され、約9カ月が過ぎようとしている。日本での新聞記者経験を活かし、配属先では月に1度発行する機関紙「Enkyo news」の編集を主に務めている。
南部の日系人口は一説によると4千人ほど。ブラジル日系社会全体(240万人と仮定)のわずか0・1%だが、配属先が主催する「運動会」「敬老会」などの年間行事をはじめ、所属先に関係なく力を合わせて運営を行う「日本祭り」には昨年約7万人が訪れるなど、活発に活動している。この他にも、若手日系人による「和会」や太鼓、民謡、ソーランのグループがあり、若者世代も元気がある。
配属先では週に1、2度、体操や生け花の高齢者教室が行われる。地域の日系や非日系の高齢者ら毎回約10人が訪れ、ポルトガル語や日本語が飛び交う。南部は1956〜58年にかけて多くの日本人が移民し、教室を訪れるのは50〜90代の1世が主だ。移民の理由はさまざまだが、現在残る1世は家族と共に幼少期に移民した人が多い。
当初、私はさまざまな背景のある日系の方々への接し方が分からなかった。移民としての苦労、長い時間を経ての気持ちの変化、日本への郷愁…どのような価値観を持っているのかが分からず、不躾なことを言ってしまうのではないかと感じたからだ。そんな時、1人のおばあちゃんが掛けてくれたのが冒頭の言葉だった。
高齢者教室、敬老会、日本祭り…。この9カ月間、たくさんの経験を日系の方々と一緒にさせてもらった。南部には私の地元・北海道からの移民も多く、日本の反対側で地元についての会話をすることも。移民時の経験を話してくれる方も多く、乗船時の思い出や移民当初の生活、子どもたちへの思いなど、多くを学ばせてもらった。
若手日系人の活動にも多く参加し、3世でも「まだ移民としての気持ちがある」と感じていることに驚いた。その上で「日本をルーツにする一人として頑張りたい」と日本文化の普及に取り組む姿に感動した。
2月中旬、カーニバル期間中に旅行していた私は、2週間ぶりの高齢者教室に立ち合った。お茶を用意し、ドアを開くと「久しぶりだね。楽しかった?」と皆が歓迎してくれたことが嬉しかった。私は教えられるほどの日本文化も知らず、逆に学んでばかりだ。ただ、この地域の方々に少しでも喜んでもらえる機関紙を作りたいし、発信したい。そんな気持ちで活動している。