《旅行エッセイ》自分探しにお薦め、自己肯定感爆上がり=ブラジル日系社会訪問旅行を終えて=徳島県 萩原八郎(四国大学経営情報学部教授)

プロミッソンの上塚周平公園にある開拓十周年記念塔の前で参加者の皆さん

 新型コロナウイルスの影響で高騰していた国際航空運賃が落ち着いてきたことを受けて、さる3月上旬に約2週間、徳島からブラジルに8年ぶりに旅行して旧交を温めました。今回の旅行の主な目的は、ブラジルは初めてという徳島県在住の若者3人と一緒にサンパウロ市およびサンパウロ州内の日系社会を訪問することでした。
 ブラジル研究および徳島県とブラジルの友好関係の促進に携わっている私にとっては、今後の徳島県とブラジルの交流のために、徳島県人会の役員の方々や徳島県との関係が深い阿波踊り・レプレーザ連の皆さん、そしてマイリポランで藍染めを実践している宮崎キリアンネさんに会うことも目的でした。
 日本から中東経由でサンパウロに夕方到着して、さっそくその夜に日系人が集うリベルダーデのホームパーティーにお邪魔しました。日本から来たばかりの若者3人は、お酒が入って上機嫌のブラジル在住の日本人、日系人たちからブラジル日系社会の熱烈な洗礼を受ける形となりました。
 到着4日後からは、モトリスタ付きのバンを借り上げて、サンパウロ市発でリンス、弓場農場(2泊)、グアタパラ、アチバイアに宿泊してサンパウロ市に戻る6日間のサンパウロ州内の日系社会訪問の旅に出ました。サンパウロ市からレプレーザ連の長井アメリア連長のほかメンバーの若い男女4人が(うち3人は最後まで)同行してくれました。
 日本からの若者3人はポルトガル語が話せず、レプレーザ連の日系青年4人のうち日本語が堪能なのは1人だけということもあって、移動中のバンの車中では日本語とポルトガル語と(通訳なしで話すための)英語が飛び交っていました。
 各訪問先では、ご対応いただいた日系社会の皆さんに温かく迎えていただき、旅を通じてブラジルと日系社会に触れて、感じて、理解を深めるという所期の目標を十分にかなえることができました。
 この度の旅を振り返ってありがたかったこと、そしてよかったと思うことは、一つ目にはレプレーザ連のブラジルの青年たちが同行してくれて道中ずっと意見交換できたこと。二つ目には事前にアポが取れていなかったところも訪問先から直前にアポを取っていただくなど、幸運も重なって行く先々で親切にご対応いただいたこと。
 そして三つ目には事故もなく楽しく学ぶ旅を終えることができたことです。関係者の皆さんには心より感謝申し上げます。
 さて、ここからは、徳島から参加したメンバーからの感想です。

【妹尾裕介】
 今回の旅のテーマは、『陽キャ(陽気なキャラクター)のルーツを探る』ことでした。ぼくが日本を出るのは今回が初めてでした。実際にこの目で見て体感してきた結論は、ブラジルの人たちはとにかく『生きるエネルギー』に溢れているということでした。「生きる力」と「信じる力」と「伝える力」にとても長けていると感じました。
 そして、自分の道は自分自身で切り開くという『生き方』に、ぼくは度肝を抜かれました。ブラジルの人たちは本当に陽気な方が多く、一日一日を、人との出会いを、人と過ごす時間を大切にしているのを目の当たりにしました!
 一方で「治安が悪い」という背景も事実であり、中心市街地の表通りを一歩抜けると、浮浪者の姿が目につき、建物には芸術的な落書きが散乱していました。でも、それは裏返してみれば『生きるエネルギー』に溢れていると言い換えられると思います。
 「お金がない、食べるものも住むところもない、頼れる人もいない」
 その場合、大半のブラジルの人は非行に走ったり、どんな手を使っても生ききります。「絶望」という概念がそもそもないのです。もし、日本で生まれ育った人が同じ境遇になったらどういう行動をとる人が多いでしょうか。ぼくはものすごく考えさせられました。
 日本は世界一『生きづらい大国』だとぼくは思っています。現代の日本の若者たちもそれを強く感じています。今回の旅でブラジルと日本を比較して思うことは、日本は平和過ぎる! 仕組みとルールによって守られ過ぎている! 明日は必ず来るし、誰かがどうにかしてくれるものと勘違いしている! ということでした。
 一方で日本は世界一恵まれた国でもあり、人生も自由に選択できるはずなのに、それをしようとしない人が本当に多い。それは国民の『想像力』が低下しているからだと思います。
 ブラジルは、自分探しの旅にはめちゃくちゃおすすめできます。自己肯定感が爆上がりします! これは実際に行ってもらわないと伝えられません。
 まとめとして、陽キャとは『生きるエネルギー』に溢れていることだと確信を持てました。

【原田翔平】
 私にとってイギリスに続いて2回目の海外旅行でした。今回の旅は、自分の中でそれまでの考え方が大きく変わった「最高」の経験でした。
 第一印象は、暑い! でした。そして初めてお会いした日系ブラジル人の方々が本当に優しく、日本でもこんなことない! というほどの「おもてなし」を受けて感動でした。ブラジルに着くや否や参加させていただいた日系コミュニティの集まりで、謙虚さが大事だと思っていた私は、「自分の意見も言わないで、高いお金をかけてブラジルに何しにきたんだ!?」の一言で体が痺(しび)れました。
 リベルダーデや弓場農場などで、日本からの移民たちが守ってきた文化に触れて、日本が素晴らしい国であるということをあらためて感じました。また、ブラジルの人たちからは、生への執着心、夢に向かう力、優しい心、学びたいと思う気持ち、といった情熱が日本の人たちよりも高いと思いました。
 今回、サンパウロ州内への旅を共にしたレプレーザ連の人たちと真面目な話をしたり、笑い合ったり、阿波踊りを踊ったりと、とても濃い時間を過ごしたことで深い絆が生まれました。弓場農場や日系コミュニティで飲んだお酒の味は一生忘れられない学びとなり、私には幸せでしかありませんでした。

【曹 敬如】
 私は中国人ですが、今回初めて中国と日本以外の外国に旅行して、視野が広まりました。私の名前は日本語で「ソウ ケイジョ」という発音なので、弓場農場で子供から「私はチーズです」という意味だよ、と教えてもらい、それからは自己紹介の時に「私はチーズマンです」と言うと、場の雰囲気が和らいで楽しく交流することができました。
 春先で寒かった日本からブラジルに来て、とにかく暑いと思ったのと、ハエや蚊が食べ物に寄ってきて、とても驚きました。私は肉が大好きなので、期待していた通りブラジルの肉料理を堪能することができて満足です。ガラナやいろいろな果物のジュースもそれからアイスクリームもおいしかったです。それに女の人がとてもきれいだと思いました。

【エンリ・ヤマモト】
 私は阿波踊りレプレーザ連のメンバーです。萩原先生が企画してくれた旅行に参加しましたが、とてもクールで面白い旅だと思いました。日本人移民の古い歴史を伝える場所を訪れ、知識が豊富な人々の話が聞けて、とてもよかったです。道に迷いながらたどり着いたグアラサイーの新生農場のように、おそらく一生行けなかったかもしれない場所にも行く機会を得ました。
 訪問した場所はどこも印象的でしたが、私が一番気に入った場所は、多くの明るく人なつっこい子供たちがいる「ユバ」でした。ユバの家族は「社会主義的」な生活様式でお互いに平穏で辛抱強く暮らしています。とても興味深い場所だったので、いつかまた行きたいと思っています。旅行を共にした皆さんと楽しい時間を過ごさせていただき、ありがとうございました!

【カリーナ・カジハラ】
 今回の旅はとても充実した経験でした。サントスからサンパウロ州内陸部まで、多くの日本人移民が残した足跡をたどることで、彼らが直面したさまざまな困難についてあらためて学ぶことができました。
 このことにより、私は日本から移住した祖父母と曽祖父母をさらに尊敬するようになり、彼らの強さと努力のおかげで今日の私と私の家族があるということにあらためて感謝するようになりました。また、サンパウロ州各地に日系人の記念碑やコミュニティが分布していて、移民の歴史がしっかり刻まれているのを見てとてもうれしく思いました。
 それにしても、この旅行で最も興味深かったのは、同年代の日本人と一緒に旅行できたことで、日本人移民の歴史を共有し話し合えただけでなく、主に日系社会やブラジルについても理解を深めることができました。彼らの視点に触れたことで、私は今、日系ブラジル人であることの誇りをさらに強く感じています。

【エライネ・オオヌキ】
 サンパウロ州の内陸部を巡るこの旅は、とても啓発的で、私は多くのことを学び、日本人の歴史を再認識しました。最小限の持ち物と最大限の勇気をもって、異なる気候と私にとっては不得手の日本語に付き合う旅に参加しました。全く知らない土地で聞いた話や見た記念碑などは、学校ではほとんど紹介されなかった歴史を私たちに教えてくれました。
 移民は単なるコーヒー農園での労働力ではなく、移民それぞれに人生の物語があったことを私たちは忘れがちです。彼らの多くは「ブラジルではコーヒーが金を生む」という言葉を信じ、数年後には帰国して故郷に錦を飾ることができると考え、日本を後にしました。
 しかし、そこで彼らが目にしたのは、奴隷制度にも似た過酷な労働、莫大な借金、そして打ち砕かれた夢でした。
 普段生活している大都市から離れて、かつての移住地のなごりや現存する日本人コミュニティを訪れるのは、とても有意義なことでした。私にとっては、先祖とのつながり、よりシンプルな生活、そして地域の歴史文化を見直すことの大切さに気づかせてくれました。さらには、連帯することや隣人愛が文化の存続にとっていかに重要であるかを教えてくれました。

【ユキエ・ナカガマ】
 萩原教授の訪伯中、私たちは、最初の移民が上陸した港町のサントスから、サンパウロ州内陸部のリンスやミランドポリス方面に形成された初期の日系コミュニティまで、自分たちの祖父母以降のルーツについて、もう少し深く学ぶ機会を得ました。盆踊り、陸上競技などのスポーツ、ブラジルの食材を活かした日本料理など、日本の風習や伝統が長い年月を経て、これらの場所で維持されている様子を見ることができ、興味深く感じました。
 日系コミュニティは、ブラジル各地に散在していても、共同体意識が強く浸透しており、それはサンパウロ州内陸部でもサンパウロ市でも、会館を通じて日系ブラジル人たちの交流の拠点であり続けていることがわかりました。

最新記事