小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=134

 表からは何の変哲もない住宅だが、内部には畳を敷き詰めた日本間があり、床の間に百合が活けてあった。が、畳の上には昨夜の布団が伸びていた。新鮮な木材の香が周囲に漂っていた。
「ごめんね。独りだと、どうしても散らかしてしまうので」
 つや子は、笑みをたたえて田守の前に立った。田守は何も言わず彼女を抱きしめた。豊満な身体つきである。毎日が夫婦喧嘩で、しばらく異性に接していない田守には耐えられない魅力だった。二つの身体は固く組み合って、布団の上に勢いよく転がった。双方の意気は統合し、そして、ほぼ同時に満足した。田守は足をからませながら、
「今夜は泊まって行くぜ」
「そうして、嬉しいわ」
 つや子は、改めて抱きついてきた。夜が明けると、田守はそのまま事務所に行き、暮れるとまたつや子の家に戻った。
 
 四日目の日曜日、田守は家に帰った。果たして、激怒したマチルデは別れると言い出した。四日三晩の遊興を詰るのみならず、田守が篠崎事務所に勤めてからの振るまいを、声の枯れるまで罵った。もとより覚悟の田守は慌てなかった。
「子供もいないことだし、了解の上で二人が別れても誰に迷惑をかけることでもない。性格の合わない二人が一緒に暮らすことの方に矛盾がある。俺の家はお前の名儀にしてやろう。自動車は俺の逃避行のために貰っておくよ」
 田守は篠崎事務所で、不動産の譲渡手続きを済ませた。離婚届けは何年か後になるので、その時に戻ると約束して、発った。後方で、マチルデが盛んに叫んでいた。田守は振り返らなかった。
 
(五)
 
 田守は奥地へ向けて車を走らせた。昔住んだ地方を通ったので帰巣本能とでもいうのか、つい寄り道をして、かつて母親が世話になったダニエルの土地を訪ねた。彼はすっかり頭髪が白くなっていた。土地は息子に譲って隠居暮らしだ、と言いながら田守を招じ入れた。
「お前のお袋は、息子は、きっとどこかで元気に生きている筈だから心配はしない、と言いながらも、いつも泣いていたぞ。三年近くなるが、自分は日本に帰るから、もし息子が現れたら、この手紙を手渡して欲しいと依頼された。わしらは、サンパウロまで送っていって、ホテルで別れたけど、ひどく淋しそうだった」

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