岸田文雄内閣総理大臣が4日午後1時、サンパウロ市のブラジル日本文化福祉協会ビルに来場し、赤絨毯が引かれた大階段を上ると、200人の日系児童生徒が日伯旗を熱烈に振って出迎え、1千人以上が待ち構える大講堂で行われた日系社会による歓迎式典に出席した。昼食懇談会の後、イビラプエラ公園の開拓先没者慰霊碑献花と日本館視察、ジャパンハウス視察、サンパウロ大学法学部での政策講演、ビジネスセミナー、内外記者会見などを分刻みのスケジュールでこなし、同日深夜帰路に就いた。
午前11時頃には開場を待つ列が100m以上になった。文協の正門玄関前には警察車両が停められ、興味津々のブラジル人の野次馬も並び始めた。11時半に開場すると一人一人の持ちものが金属探知機で検査されていた。
前方の席に陣取っていた匿名希望の戦後移民女性(79歳、福島県出身)に聞くと、「日本がしっかりしてくれないと、海外に住んでいる我々も心細い。日本ではほぼ会うことはできない総理大臣を、こうして身近に見られることができるのはとてもうれしい。忙しい中、遠いところまで来てもらってありがたい」としみじみ語った。
午後0時30分ほどにはボーイスカウト隊や大志万学院、アルモニア学院の生徒ら約200人が大サロンの花道のわきに陣取り、岸田総理の入場を待ちわび、石川レナト会長自らが旗振りの練習を指揮するなど雰囲気を盛り上げた。午後1時少し前に総理が到着すると、日系代表5団体の会長らが正門で出迎えた。総理が赤絨毯を上ると、子供らは一斉に歓声を上げて勢いよく旗を振り、総理は笑顔で手を振って歓迎に応えていた。
大講堂の客席はほぼ埋め尽くされ、壇上には日伯旗が掲揚された。岸田総理が入場すると、一斉に立ちがって拍手で歓迎した。総理を中央に左側の森屋宏(もりや ひろし)内閣官房副長官と共にステージ中央の席に着くと、まず君が代、続いてブラジル国歌の斉唱が行われた。
石川レナト文協会長は全日系団体を代表してポ語で挨拶、まずコロナ禍中のJICAを通した日系社会支援に感謝を述べた。「日系社会は270万人に増え、7世世代まで拡大してあらゆる分野で活躍しており、人口比ではブラジル全人口の1・3%だが、国内総生産では5%以上を占めている。先ほどお迎えした日系児童生徒らはポルトガル語や日本語だけでなく、英語やスペイン語の多言語話者として教育されており、彼らが将来も日本への敬意を保ち続けることが肝要であり、そのための努力を続けたい」などと歓迎の挨拶を述べた。
2013年に外務大臣としてサンパウロ訪問して慰霊碑に献花した岸田総理は、「まるで故郷に帰ってきたような懐かしい感じがします」と歓迎に対する感謝を述べ、「ブラジルでは焼きそばが広く食べられると聞いておりますが、私の出身地の広島のお好み焼きもぜひ同じように広まってほしいと思います」とユーモラスに述べると会場から笑いがわき、一気に和やかな雰囲気になった。
その上で「今後3年間で1千人の交流新プログラムを決定しました」と発表して、移民先駆者らの苦労をねぎらって挨拶を終えた。その後、来場者の希望者全員と約30人単位で記念撮影した。
来場者の岡田文雄さん(72歳、広島県)に感想を聞くと、「お話を聞いて、総理は海外日系社会のことを気に留めていることがよく分かった。最近の若い日系世代は一般に日本に対する関心が薄まっているので、新交流プログラムでそのような世代が日本に行き、親日家になって帰ってきてくれることに期待したい」と笑顔を浮かべた。
細井真由美さん(74、福岡県)も「総理をお迎えして、君が代が流れた瞬間に、無条件に涙が込み上げてきた。お忙しい中、はるばる地球の反対側まで足を運んでもらって日系人と交流してもらい、ありがたいと思いました」と感謝した。
その隣に座っていた大島純子さん(79歳、神奈川県)も「先ほど総理をお迎えした子供たちですら、日本語がペラペラなものはほとんどいない。もっと日本語の継承がしっかりされるように教育を手伝ってほしい」との希望を述べた。
小泉純一郎総理が来伯した際、文協の日本館責任者として対応した経験がある川合昭さん(89歳、秋田県)は「岸田総理はとても気さくな方で、今までと一味違う。写真も一緒に撮ってくれ、庶民的な感じがしました」と語った。