「途中で危ないと思って引き返そうと思ったら、急に水位が上がって車の中まで。たまたまいた消防車に助けてもらい、安全な場所まで引っ張ってもらいました」――リオ・グランデ・ド・スール州を襲った豪雨を現地で体験した有限会社・三信インターナショナルの三宅信史代表(75歳、大阪市在住)が10日午前、編集部を訪ね、命からがらサンパウロ市まで逃げ延びた経験を語った。
4月26日にブラジル訪問し、27日からリオ・グランデ・ド・スール州に滞在していた三宅さん。日本へのワイン輸入などを手掛けている関係で、「ブラジルのワインの首都」ベント・ゴンサルベスなどを毎年のように訪ねる生活を続けている。コロナ禍や闘病生活があったため、今回は4年ぶりの来伯だった。
27日、州都ポルト・アレグレ市に着いた時から三宅さんは時ならぬ寒さを感じていたという。30日、海抜700mのベント・ゴンサルベスへ行くための高速バスは既に運休になっていたので、友人の車で商談に向かった。途中豪雨となり、「いくらワイパーを動かしても全然効かない。雨が強すぎて前が見えませんでした」と振り返る。
道の両側に広がる畑が海の様になっている光景に驚いたという。「『あの水が道路まで上がってきたら大変なことになるね』なんて話してたら、急に堰を切ったように上がって来たんですよ」と、その時の恐怖を語った。
その先は道路が水没して通行止めとなり、消防車がそれ以上通行しないように規制していた。車中ではどんどん水位があがった」と身振り手振りでその高さを説明した。「もう運転が不可能に。急きょ消防車に乗せてもらい、車を引っ張ってもらって、雨が落ち着いている場所まで連れていってもらい、また州都へ戻った」という。
日本での経験から、豪雨の後は山間部に振った雨が時間差で流れてきて、平野部の洪水が増水することを知っていた三宅さんは、市内の大半が水面ギリギリにあるポルト・アレグレを出ることを決意。だが飛行機のチケットがなかなか取れず、やっとのことで3日にサウガード・フィーリョ空港から出発。サンパウロ市を経由し、リオに向かった。
「今思えば、間一髪でリオ・グランデ・ド・スール州から出てきました。翌日に空港が水没して閉鎖になりました。あの時は間一髪だとはおもいませんでしたが…」。リオに着くと日差しが真夏、大洪水とはかけ離れた非日常に別の国のように感じたという。
三宅さんはポルト・アレグレにいる間、現地の日系人と連日情報交換をしていた。その際、「電気と水が来なくて困っている。お年寄りはエレベーターが動かないからアパートから外出ができない。アパートにいても、水がないからトイレもいけない。水がないから、汚れたところを拭くにも雑巾を洗えず、足りない。お金より雑巾など物の支援がほしい。停電しているから冷蔵庫の食材もほとんどダメになってしまった」との声を耳にしたと代弁した。
3日の時点で現地ブラジル人から「中国やイタリアの外交官はこの洪水に遺憾の意を表明したり、労わりの声明をすぐ出しているのに、日本筋からはほぼ聞こえてこない」との声を聞き、気になっているという。
リオ・グランデ・ド・スール州の農業に詳しい三宅さんだけに、「ワイン醸造所や蔵はもちろん、馬や牛、豚などの家畜が壊滅的な状況になっている可能性がある。この洪水が農畜産業に及ぼした損害はこれから明らかになるだろうが、とても心配だ」と不安そうな表情を浮かべた。