大洪水が続くリオ・グランデ・ド・スール州に暮らす菅野ラファエルさん(32歳)と佐藤ひろみさん(73歳、1世・北海道)に現地の状況と避難体験を聞いた。
菅野さんは同州ポルト・アレグレ市メニ―ノ・デウス区に住み、現地日系団体のポルト・アレグレ日本文化協会会長を務めている。
4日(金)午後6時頃、長引く雨による洪水の状況を心配して、アパートの5階に住む菅野さんが外に出て近くの道路を見ると既に冠水している箇所が出てきていた。水はやがてアパートの入口まで来るほど溜まってきていった。
翌朝、水道が止まった。ノノアイ地区に住む両親の勧めで、避難を決めると、洋服、身分証、ノートパソコン、飼い犬を連れて、家を出た。父と義理の兄が車で迎えにきてくれることになっているが、車のやってこられる合流地点までは徒歩。ビニール袋を足に巻いて歩いたとう。
現在、菅野さんのアパートには誰もいない。「もし、あのままアパートに残っていたら僕もボートに乗って避難していたに違いない」と語った。
一方、佐藤さんは52年間ポルト・アレグレに住んできたが、今回の様な洪水被害は初めてで、「今まで一度もこのような体験をしたことがなく、ショックが大きいです」と語る。
佐藤さんはポルト・アレグレ市セントロ地区の11階立てマンションの10階に住んでいた。
5月6日(月)、電気と水道が止まった。高層階に住んでいるため浸水の心配はしていなかったが、電気と水が止まったことで「危機感を感じ始めた」と振り返る。
「今までこんなに大きな大洪水を経験したことなかったから、家にいれば安全で、すぐに水も引くと思っていた。停電後、携帯電話の充電も切れてしまい、家族と連絡をとることができなくなってしまうと、物凄い不安と悲しみがこみ上げてきた。戦地に放り出されたような絶望感と無力感だった」。この時すでに道路の水位は1・5メートルにまで昇っており、食糧を買いに行くのも不可能だった。
夫の健吉さん(けんきち・78・一世、北海道)と共に避難することを決意。階段で地上階まで降り、水に浸かりながら、マンションの敷地外に出たところを、ボランティアの救助ボートに助けられた。
ボートに乗り、冠水していない地点まで運んでもらうと、そこから更にトラックに乗り、一時避難所へ運ばれた。救助隊のボートを降りた地点のすぐそばの道路は、既に川のようになっていたという。
一時避難所に着くと、沢山のボランティアがスナックや水を渡してくれた。親戚や友人など避難の当てがない人々に対しては、近くの避難所の斡旋を行っていた。ボランティアは自身の車を運転して、被災者を避難所まで連れて行った。
佐藤さん夫婦は迎えに来た甥の車に乗り、南地区に住むひろみさんの姉の家に避難した。避難生活を続けるひろみさんは「被災当初は恐怖でいっぱいでしたが、唯一の救いは家族が無事だったこと。被災地では多くの人が助けあっており、こうした連帯が復興を終えるまで続いてほしいです。今は再出発に向けて辛抱強く力を合わせる時だと思っています」と力を込めて語った。
夫の健吉さんは「人は天災の行方をただ見守ることしかできない。心配してもしょうがないが、今後の食糧供給に不安を感じています」と話した。