パラナ州ロンドリーナは、「…ロンドリーナと謂へば恰も日本によく見る明媚な風景と一年中の春を思はせる氣候をもつブラジル切っての樂天地である」(『北パラナ國際植民地開拓十五周年史』1950年)と謳われてきました。ドイツ・日本からの移民によって開拓され、国内でも有数のコーヒー産地として発展した歴史を持つ町でもあります。
改めまして、パラナ州ロンドリーナ市にある「ロンドリーナ文化体育協会(ASSOCIAÇÃO CULTURAL E ESPORTIVA DE LONDRINA、以下ACEL)」で野球隊員として活動している川村渉です。同市はパラナ州でクリチバに次ぐ人口56万人の第2の都市で、現在でも日系ルーツの方が約2万人おり、全体人口比の割合は他の都市を凌ぎ、最大規模と言われています。
私が活動しているACELは1955年に、当時の前身団体である日本人会や青年会等が合併して設立されました。以後ロンドリーナの日系コミュニティにおける文化・体育の中心として機能しています。野球・ソフトボール・サッカー・テニス・卓球・カラオケ・太鼓・盆踊りなど、様々な活動の場として、また市の日系イベントの開催場所として役割を果たしています。
ACELにおける野球活動には、小学校入学前の子どもから80代の高齢者まで老若男女問わず参加されており、いつもその活気に驚かされます。また大小合わせて、九つのグラウンドと屋内練習場も兼ね備えており、南米最大規模の野球施設として地元の人々から大切にされています。
毎年8月に行われるソフトボールの大会では、ブラジル国内外から60以上のチームが参加します。昨年の大会は私がロンドリーナに着任した最初の週末にあり、まだ何も分からない中でその盛り上がりに圧倒されたのを記憶しています。
活動の中で驚いたことは、この国には単なるアメリカ由来の一スポーツとしての「Baseball」ではなく、日本の「野球」があったことです。よく活動をしていて「野球にはあるけど他のスポーツにはないものがあるんだ」と言われることがあります。
それはdisciplina(規律)、respeito(敬意)、amizade(仲間)、agradecimento(感謝)、educação(教育)などと言い換えられています。いずれも自分が日本で競技者として野球を通して学び大切にしてきたことでした。地球の反対で同じことが大切にされていることに驚きました。
今となっては全く日本語を知らない世代の子たちでさえ、実際に練習や試合では「チラ(外して)、ボウシ! レイ! オネガイシマス!」に始まり、「アリガトウゴザイマシタ」で終わる慣習が残っており、毎回感銘を受けます。私は主に小中学生の年代の子どもたちへの指導を行っています。
私が日本から来た意味を考え、野球の技術以上のことも伝えることを目標に日々励んでいます。現在チームには日系ルーツと非日系ルーツの子どもが約半数ずつ入っており、中にはベネズエラをはじめとしたブラジル周辺国ルーツの子もいます。
日本と南米由来の野球が合わさり、将来このブラジルで「野球が様々な背景の人々を越えて広がっていくこと」、現在関わっている子どもたちが大人になっても野球を好きでいてくれて、さらにその子どもたちにまで「野球が世代を越えて繋がっていくこと」を願って活動しています。