「信じられないことがサントスで起きていた。このツアーで真実を知ることができた」―参加者の一人、坂木道子さん(84歳、2世)は、しみじみと感想を述べた。清和友の会(中沢宏一会長)は8日、ツアー企画「日系社会遺産遺跡巡り」を実施、72人が参加してサントス強制退去事件(以下、サントス事件と略)縁の地を巡った。7月25日にブラジリアで開催される恩赦委員会でこのサントス事件を含めた戦争に関わる日本人移民迫害に政府が謝罪するかを審議するため、今ツアーは異例の関心を呼び、読売新聞や共同通信、時事通信、TBS現地ロケ班らも同行し、事件が起きた現地での話に聞き入った。
サントス沖でブラジルと米国の商船がドイツ潜水艦に沈没させられたのを受け、ブラジル政府はサントス沿岸部にスパイが潜伏していると考え、1943年7月8日に24時間以内に同地域の日本人移民6500人とドイツ移民の24時間以内の強制退去を命じた。
このサントス事件の犠牲者22人の証言を集めて特集号『群星』を刊行したブラジル沖縄県人移民研究塾代表の宮城あきらさんは、「当時7歳だった佐久間さんの場合、母が臨月だったので父が警察に『出産が終わるまで待ってくれないか』と掛け合った。警察の答えは『出産でも関係ない。日本人はサントスから出ていけ。さもなければ逮捕する』というもの。泣く泣く家族で汽車に乗ってサンパウロ市へ。終戦後にようやく戻ってきたら、家や財産を全て取られた後だった」と悲しい事実を代弁した。
宮城さんは「詳しい話は『群星』を読んでください。我々が証言を聞くまで、家族にさえ語ったことがない人が何人もいました。歴史の闇に葬り去られようとしていた生の声を、ぜひ知ってください」と述べた。
当日は日系団体「金星クラブ」レストラン二階で説明会が開催された。榎原良一副会長が司会を務め、まず中沢会長が「私は1963年5月にサントス港に着いた。移民なら皆思い出、愛着のある場所。そこで戦争の悲劇が起きた。7月25日には清和友の会で首都にツアーを企画しますので、ぜひご参加を」と呼びかけた。
サントス日本人会の中井貞夫会長は、現地における戦争前後の社会状況を説明。サントス事件で連邦政府に接収された日本人学校の返還運動が90年代から行われ、2006年に会館使用許可、2018年にようやく地権の正式譲渡となった流れをスライドで解説し、「正式譲渡された後、戦前の日本人学校教頭だった柳沢秋雄さんの息子から、父がこっそり保存していた資料を寄贈された」と明かした。
そこに立退き者リストがあり、現地を訪れた映画監督の松林要樹さんがそれを発見したのをきっかけにサントス事件のドキュメンタリー映画『オキナワ サントス』(2020年)を制作した。
事件当時、母のお腹で5カ月だった宮村秀光さんも両親から聞いた証言を語り、「両親は1934年に移住し、それから10年がかりで築き上げた財産をほとんど立退きで失った。当時、日本人はキンタ・コルーナ(スパイ)と差別されていた。父は戦後、損害賠償できないかと考えていたが結局あきらめた。さぞや無念だったろうと思います」と語った。
普段は公式ガイドとして仕事をする浜田宏子さんは、「この事件については資料があまりに少ない。仕事柄サントスにはよく来ますが、今回のように現場を見て実際の話を聞くと、今後説明するときに役に立ちます」と喜んでいた。
昼食後に旧日本人学校へ行き、そこで俳優のロジェリオ・ナガイさんとウィニー・モリヤマさんが強制退去を命じられて列車に乗るまでの場面の寸劇を演じて見せ、参加者から喝さいを浴びていた。最後に退去者が聖市行きの列車に乗せられたヴァロンゴ駅を見学、戦前の汽車を見ながら当時に思いをはせた。