ブラジル日本移民116周年おめでとうございます。
第1回移民船「笠戸丸」がサントス港に到着し日本人移民が上陸したのは1908年6月18日でした。それから時は流れ、116年経った今日、移民の子孫はブラジル人としてこの国の社会に溶け込み、様々な分野で活躍し、日々、優秀な人材を生み出しています。そして、日系ブラジル人はブラジルと日本をつなぐ貴重な掛橋の役割を果たし日本との交流に大きく貢献しています。
反面、並大抵の努力では、このような成果を得ることはなかったと思います。初期移民は誰しも過酷な生活をせざるを得なく、コーヒー園で働くために雇われた移民は質素な移民小屋に住むという生活環境、文化や習慣の違い、わけがわからなくて通じないポルトガル語の壁に加えて、風土病であるマラリアの流行にも関わらず、経済的独立を目指し、毎日朝から晩まで夢中になって働いたのです。
しかし、すべてが成功したということではなく、夢を叶えることができず、幼児や乳児を遺して他界してしまった移民は数多く、一家全員が亡くなってしまった例もあります。特に初期移民の開拓地の一つである平野植民地で起こったマラリア感染による悲劇は有名で、ブラジル日本移民史上最も悲惨な被害を出しました。
このような悲劇は様々な開拓地にあり、多数の方々が志半ばで他界しました。お亡くなりになった人々の遺体は自宅の裏庭に葬られ、時と共に忘れられ、やがて無縁仏となってしまったのです。
毎年、6月18日のブラジル日本人移民の日には、イビラプエラ公園にある「開拓先没者慰霊碑」で県連とブラジル仏教連合会(佛連)の共催で開拓先亡者追悼法要を行います。この日には、約60名のリーダーが集まり、日系社会を代表して先没者を供養します。また、在サンパウロ日本国総領事も参拝し、哀悼の辞を述べます。
そして翌日は、文協大講堂で開拓先亡者大法要が行われ、幾多の困難を乗り越えた私たちの先祖の御霊に深い感謝と敬意を表し、日系5団体が哀悼の言葉を送ります。
現在ではブラジル生まれのニッケイ5世も現れ、これらの多くは非日系との混血で、日本語が理解できない状態になっています。
しかしながら、特にアニメや漫画などの影響を受けて、日本の文化や伝統に興味を持ち、日系社会の活動にも参加し、活躍しているニッケイ5世も少なくありません。
まさに、昨今は近い将来、彼らがニッケイ社会をけん引していく暁の時だと思われます。これを踏まえて、今年に入り、日本政府はJICAを通して、文協、援協、県連の3団体と日本文化に関心を持つ非日系人も含めて、「ニッケイ」と認め、ニッケイ社会の活性化に努めるための協定を結びました。
ニッケイ社会の原点である移民の日を迎え、全力で、将来のニッケイ社会の発展に尽くしてまいります。