「この港の市長たちが来ると困るが、現実に話せないのは如何ともなし難い。我等は東京外語のスペイン語科で学んだとはいえ、スペイン語とポルトガル語はやはり異なった言語だ」
「そのスペイン語でさえ、まだ在学中だった我々の実力は頼りない」
「音楽をかなでて歓迎してくれる異国人の心根はうれしいが、やはり困ったものだ」
月見草が咲くように、溜息がホッと若者のロから漏れた。
「そんな弱音を吐いているうちに、いまにも市長の一行が来たらどうするの!」
「仕方ない。我等一同及ばずながら知っているかぎりのスペイン語を口々に並べたてて、返礼の挨拶にかえることにしようではないか」
「そうだ、そうだ!青雲の志を抱いて新世界にやって来た我等の夢と希望を、これほどの街の市長を務めるほどの人物ならたちどころに理解してくれるにちがいない」
他の四つの山高帽も大きく揺れてうなずき合った。 ――再び若者たちは姿勢を正して、暮れて行く異国の街に熱烈な視線を送った。
茜色はとうに消えて、街の上の東の空は青く光っていた。丘の上の教会の尖塔やヤシの木のシルエットがエキゾチックな舞台装置のように連なっている。このサルバドールの市街には教会が三百六十五あると言われている。実際の数はともかく、それほど教会が多いのだった。
一きわ壮重なカテドラル寺院の二基の鐘楼を中心に、カルモ教会の細い尖塔や聖サンフランシスコ寺のずんぐりしたドームなどが、その影を帝王ヤシに護られながら空に浮んでいた。中天にはすでに星が強く輝きはじめていた。
「すっかり暗くなってしまった……」
一人が呟いた。
「腹も減ってきた」
もう一人が閉口したように言った。
「ことによると市長の一行は来ないのではないか?」
「しかし、賑やかな音楽はまだ続いている。我々の旅の疲れを思って、音楽だけを届けて市長たちは姿を現わさないのかもしれない」
「思いやりのある人々だ」
会話はまた途切れ、暫く時間が過ぎた。厨房から食事の匂いが立ち登ってきた。
「……腹が減ったなあ」
若者たちの健康な体は緊張していても、時間になると激しい食欲をうったえるのだった。
「これだけ音楽を聴いたのだから、そして我々の心は充分に慰められたのだから、食事に降りても失礼ではないだろう」
自分自身に言いきかすような声だった。