空手指導者の与那嶺育孝さん(やすのり・沖縄県)が8日午前9時30分頃、入院中のサンパウロ市の病院で亡くなった。行年82歳。
与那嶺さんは2日、腸に急病を発して緊急手術を行い、術後療養中だった。
告別式が9日午前11時から午後3時、サンパウロ市サン・ペドロ墓地で行われる予定。
与那嶺さんは1941年、沖縄県西原町出身。1961年に家族とブラジルへ移住し、67年に結婚。5人の子どもに恵まれた。
14歳の頃から空手を始め、1日300回の突きの鍛錬を欠かさず行ってきた。68年に沖縄県人会ビラ・カロン支部で空手を教え始め、76年に沖縄で八木明徳師範から指導を受け、6段に昇進。85年に8段、97年に9段、2011年に10段に昇進した。
83年に創設した聖市ザンベゼ街の空手道場は現在も続き、子どもたちは全員、黒帯を取得し、空手のブラジル代表となった。
日本の国体(87年)に海外から招待された唯一の空手師範。95年に日本選手権、97年に沖縄で開催された世界大会にも出場した。後進、審判員の育成に尽力した。