小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=5

「とにかくサンパウロへ行こう」
 外交官のつもりで気取っている彼等の高慢の鼻をへし折る楽しみは後廻しにして、鈴木は五人をうながして外へでた。
 子供たちがゾロゾロ後をついて来た。
 彼等の荷物はサンパウロ移民収容所あてに送ってあるので、ほとんど手ぶらだった。
 コーヒーの積出し港としてサントスは栄えている。街角のバールで彼等はコーヒーを飲んだ。初めてではないが、まだ旨いとは思えなかった。こんなニガイもののどこがいいのか理解できない。しかし、このコーヒーのために五人はこうやっていま異郷の街を歩いているのだ。
「これが旨いのですかね、鈴木さん」
 仁平が訊ねた。
「馴れたら旨いよ」
 ぶっきら棒に鈴木は答えた。
 彼の顔は日に焼けて掌はゴツゴツしている。それに比べると五人の通訳たちはずっと都会的でひ弱な感じだった。
 サントスの街には汽水帯特有の、真水にうすめられた潮の匂いが漂っていた。その匂いをかぎながら狭い石畳の道をブラブラ歩いて停車場に着いた時は夕暮れになっていた。
 人夫が焔のついた長い棒を持って、停車場前の広場のガス灯に火を点して廻った。青白い灯が夢のように点った。汽車はほの暗い空に赤い火の粉を散らしながら停っていた。サンパウロ行きの最終便だった。
 サントスーーサンパウロ間の鉄道は日本の新橋―― 横浜間に鉄道が敷設されたのとはぼ年代を同じくして英国の鉄道会社によって建設された。だから英人技師の中には東京とサントスの両方で仕事をした人も何人かいた、と会社の記録に残っている。
 発車にはまだ間があった。鈴木は六人分の二等車の切符を買った。ここの二等は日本で言えば三等である。あたりはかなり暗くなってきた。「涸滝を見上げて着きぬ移民船」と一カ月後に上塚周平が詠んだ岩山が、停車場の向うに黒々とそびえていた。二本の線路の行手に信号の赤ランプが点っている。そのランプの火は風にゆれてチラチラとまたたいていた。
 ブラジルに着いても歓迎どころか、最下等の切符を買った案内人の姿を見て、五人とも流石に黙り込んだ。何となく話がオカシイと思いはじめたようであった。
 鐘が鳴った。ランプが点ったうす暗い二等車に乗り込む五人の黒い姿が、鈴木には蚊食鳥のように見えた。

 五人の通訳たちは日本移民が到着するまでの一カ月の間、サンパウロの移民収容所で鈴木の助手の仕事を与えられた。
 鈴木はその頃は、他州からサンパウロ州に来る内国移民の登録事務をしていた。

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