小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=6

 自分たちの身分に対する彼等の幻影は日ならずして消えた。彼等は州農務局へ威儀を正して出頭し、皇国殖民会社社長水野竜が書いた農務長官あての紹介状をうやうやしく差し出したのだが、土地課長がそれを一瞥して、きわめて事務的に移民収容所長あての添書をくれたにすぎなかった。
 どうも誇大宣伝にひっかかってブラジルに来てしまったらしい、と気付きはしたが、若い五人にとってはそんな不満よりさしあたっては異国の風物の珍らしさの方が強かった。

 サンパウロに着いた翌日に早々と娼婦街に出かけた。
 嶺はリベロ・バダロ通りのロシヤ女のいる家へ入る姿を鈴木に見られている。
 平野は日記に「探検料二ミル」と記した。「その値段では場末の女だろう」と後になって鈴木に書かれている。
 五人が共同で部屋を借りた家は、収容所からほど遠からぬスペイン人の家だった。ドローレスという十六、七才の娘がいた。
 スペイン語科で学んだので、スペイン人とならかなり意志を通じることができた。妻帯者で次の船で妻がくる大野と仁平は別として、他の三人は午後四時に仕事が終って帰ってくるとドローレスのあとをついて歩いた。
 彼女もおきゃんな娘だった。スペイン語を喋る東洋人の若者たちを珍しがって積極的に話し相手になった。
 五月といえばサンパウロは秋である。日差しは強いがベランダを渡る高原の風には涼しさが透明な銀のように含まれていた。彼等の下宿を毎晩のように訪ねた鈴木は秋の月の光を浴びたベランダに黒い影が二つ並んで、低い声で楽しそうに喋っている姿をよく見かけた。それが通訳五人男の誰なのかは判然としなかった。それで鈴木は、
  バラの花咲くベランダに
  ドローレスとひそめき談る人は誰ぞや
 という、あまり上手でない短歌を作った。

 ……一カ月はまたたく間に過ぎた。
 六月十八日に第一回ブラジル移民船笠戸丸が七八一人の契約移民と十人の自由移民を乗せてサントス沖に入った。
 十九日の朝、下船した移民たちは波止場の引込線に入った十二輌の客車に乗って出発、十時頃サンパウロ移民収容所の引込線に着いた。
 通訳たちはサントスまで出向く必要も所長に認められずに、収容所の広間で人々の到着を待っていた。
 その時の自由契約移民の一人香山六郎が彼等の初印象を次のように記している。

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