「通訳の中で最も体格の立派な金縁眼鏡の黒服を着て手に山高帽を持った人は、柱にもたれてニコニコしていた。この人が大野基尚氏だった。一番小柄で、縞の洋服に赤いネクタイをきちんと結びむぎわらのカンカン帽を横っちょにかぶって肩をいからし、固い顔をして偉そうに歩く男が加藤順之助氏だった。仁平通訳は普通の体格で縞服を着、色が白くカンカン帽をななめにかぶり、目が涼しい人だった。デブチンでチョビ髭を生やし、血色が良くニコニコと下り眉毛の中背の男が平野通訳だった。髪の薄い、色の白い男、すべて小造りで話すとき口をモグモグさせていた人が嶺通訳だった」
この人物評は正確である。
五人はあくまで単なる通訳として東京で募集されたのだが、移民を従えて農場へ向った日から統率者としての能力をも要求された。クセの多い移民の群れを現地で束ねることが、青二才の語学生の手に余る仕事だったとしても当然である。
「小柄で固い顔をして偉そうに歩く」加藤順之助と、「色が白く目の涼しい」仁平嵩と、「すべて小造りで、話すときも口をモグモグさせていた」嶺昌の三人は、語学こそできたが指導者としてはたちまち失格した。良くも悪くも、最後まで移民たちの指導者として振舞ったのは大野基尚と平野運平の二人にすぎなかった。
大野は恵まれた体格を利してハッタリで通したというのが定説のようになっている。
前記の香山の文によれば、まだ山高帽に黒背広のアラビヤンナイト・スタイルでいるのは大野一人である。ブラジルの役人に無視されたこのスタイルも、移民を偉圧するには充分と彼は計算したのだろうか?
ただ、その山高帽をかぶらず手に持っていた、という処に若者らしいテレが残っているような気がする。
もう一人の平野運平は「デブチンで血色のいい中背の男」と香山の目に映じた。平野は無口だが精力的な男だった。中背とあるが実際の背はかなり低い。
大野と平野がニコニコしていた、のも偶然だろうか?七九一人の未知の入間の群れを前にして、平然としていられるタイプの人間と、思わず顔が硬ばってしまうタイブの人間がいたとしても不思議ではない。
移民たちは収容所の二階にベッドを割り当てられて荷物を運び上げた。すぐ鐘がなって昼食になった。ポルトガル料理の干ダラの煮込みだった。北海の身の厚いタラを水でもどして、ジャガイモやトマトと煮たものである。