ビーチバレー=アナ・パトリシアが東京五輪回顧=ドゥーダと再結成で金目指す

アナ・パトリシア(左)とドゥーダ(右)(Foto:Alexandre Loureiro/COB)
アナ・パトリシア(左)とドゥーダ(右)(Foto:Alexandre Loureiro/COB)

 パリ五輪の開幕が26日に迫り、出場選手たちが期待を胸に次々と現地入りしている。
 前回の東京五輪での経験を糧に、心機一転して今大会に臨むビーチバレーのアナ・パトリシア・シルヴァ・ラモス(26)は前大会を振り返り、東京五輪は自身にとって大きな挑戦だったと語る。
 彼女自身の言葉によると、東京大会では競技に対する過度の神経質さや圧力のため、自分らしさを出せず、大会を通じて本来の楽しみや学びを得ることも難しかったという。
 特に深刻だったのは新型コロナウイルスの影響で、日常的なPCR検査や、他の競技者の陽性反応などで生じる不安が大きな重荷となったという。パリ大会に向けた今は、ドゥーダ(エドゥアルド・サントス・リスボア、25)と新たなタッグを組み、競技成績だけでなく、精神的な健康や個人的な成長においても互いを支え合い、メダル獲得に向けて確実に前進していると、22日付オ・グローボ紙(1)が報じた。
 アナ・パトリシアは東京五輪を振り返り、「試合にしか目を向けてなかったから、写真も記録も何もないわ。コートでの記憶だけ。神経質で、岩のようだった。私が夢見ていた五輪の経験は空っぽのまま、帰国の途についたの。プレッシャーに負けまいと、空回りしていたみたいね」との言葉で、自分らしいプレーが出来なかったことを表現した。
 東京2020は異例の五輪大会だった。新型コロナウイルスのパンデミックの最中であり、無観客の中で行われた。選手たちは毎日検査に追われ、出場機会を逃さぬよう、ノイローゼに近い、過剰な警戒心があったという。選手村でも孤立し、食事、トレーニング、理学療法に通うという、基本的かつ必須な行動しかとらなかった。
 「ブラジルは1996年のアトランタ大会以来、常にビーチバレーボールでメダルを取ってきたのに、東京大会では誰も表彰台に上がることが出来なかった。だから、私たち選手は多くの責任を感じているの」と話す。
 アナ・パトリシアは、東京大会ではレベッカ・シルヴァと組み、ブラジル人選手の中では最も勝ち進み、準々決勝に進出を果たした。それでも、競技後の厳しい社会的批判や脅迫は凄まじく、特にSNSでの攻撃が彼女達に集中したのだという。この経験は人生で初めて体験するものもので、人々の攻撃性への驚きを隠せなかった。
 その後、レベッカとのパートナーシップを解消し、精神的なケアをしていた最中、ドゥーダが彼女に再びペアを組む提案をしてきたのだという。彼女もアガタ・ベドナルチュク選手とパートナーシップを解消したばかりだった。
 ドゥーダとの再結成はアナ・パトリシアにとって大きな意味を持ち、彼女はその経験を通じて自己評価の向上や専門的な成長を実感したのだという。「ドゥーダは妹のような存在なの。私たちは多くの時間を一緒に過ごし、多くのことを分かち合っている。嫌なことでさえ意見が一致するの。今回、私たちはタイミングが合って再びペアを組むことになったけど、ドゥーダとはもう何年も前に一緒にプレイをした仲なの。一緒に基礎を築き、成長してきた」と話す。二人は2014年の青少年オリンピックで金、16年と17年に世界選手権U‐21で優勝するなど、既に多くの成果を上げきた。
 アナ・パトリシアは、東京五輪は苦い結果に終わったが、それでも成長の一部だったと評価し、良い面も悪い面も含めて自身のキャリアにおいて重要だったという。また、その経験を糧にし、この数年間、パリ五輪に向け、完全に集中して来た。「私とドゥーダは世界ランキングで2年以上トップにいるの。パリ大会では違った視点で挑みたい」とし、旧知のドゥーダと共に、楽しむことを忘れず、自分らしく五輪の意味を全うしたい、と意気込んだ。

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