小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=10

 だから、皇国移民会社の通訳募集に応じたのもブラジルに興味があった訳ではなく、ましてや移民事業に共鳴したのでは更になかった。ひたすらに外国への憧れにすぎない。モスコーを通ってヨーロッパ大陸やロンドンを見物できるという条件に、一も二もなく飛びついただけだった。それは平野運平だけでなく、他の四人の仲間も同じだった。
 移民たちは列車の行手に転がっている金儲けに夢中になって浮かれている。彼はまだ二十二才だった。金儲けのことはさし当たってどうでもいい。数年通訳をしてから、スペインへ行こう、と慢然と思っていた。
 スペインへ行って何をしようというアテはない。ただ行ってみたかった。強いて言えば、白壁のエキゾチックな風景の中でスペイン娘と情熱的な恋を語ってみたい。
 山間のジュンジァイの駅で機関車が替って、石炭から薪になった。盛んな火の粉が振りかかってくる。人々は騒ぎながら窓をしめた。窓をしめても隙間から飛び込んで、うっかりしていると服に焦げ目がついた。人々は船の中では浴衣などを着ていたが、上陸してからは洋服を着ている。女はワンピースのようなもので、黒っぽい地味な色が多かった。当時の流行で、袖のところが脹らませてあった。新調した虎の子の服が焦げるのだから大騒ぎだった。
「そーら、ウメちゃんの背中が焦げとるぞ」
「キャーツ」
「あはは、冗談だよ」
「なあに、ウメちゃん。そんな服の一つや二つ、コーヒーの実をちょっともいだら買えるさ」
 そんなやりとりを聞きながら、運平も縞の背広を焦がさないように気をつけていた。
 通訳の月給は一律に二百ミルと決められていた。独身者には充分な額だがサンパウロ市の一応の中産階級の一家の生活費が月五百ミル掛ったから、数年後のスペイン行きに備えて貯金をする為にはかなり切り詰める必要がありそうだった。コーヒーの実をもいだ歩合いで多額の給料を貰う移民たちと同じようには、服を焦がしていられないのだった。
「通訳さん」
 声をかけて、運平の前に西仁志が坐った。まだ二十七才だが船の中では鹿児島県人四六家族百七十二名の代表になって、移民会社側や船側との折衝に当っていた男である。第一回移民は沖縄と並んで鹿児島県人が多かったから、収容所の中でも西の勢力は強かった。
 配耕先が決ってから自分よりずっと若い運平にどういう態度で接したらよいか決めかねていたようだった。

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