今までの彼は、なるべく運平と視線を合わさぬようにしていた。
西は笑いながら、
「仲良くやりましょう」
と言った。
運平は領いた。
西は声をひそめて、
「おれとあなたが力を合わせれば、皆があとをついて来る」
と、言った。
その意味が判かると、運平は不愉快そうな表情になって、窓の外を見た。船中の集団生活の連絡係としての西の役割りは、旅と共に終っていたのだ。それなのに、この男はずっと指導者でいたがっているよう
だった。
農場に着いたら指導者など要らない、と運平は思った。一人一人が一生懸命に働くだけのことだ。そして自分は通訳にすぎない。
彼は返事をせずに相手を無視したまま窓の外を眺めていた。子供の頃は腕白坊主だっただけあって、こういう時の運平の横顔にはふてぶてしい感じがあった。
西は不服そうにしていたが、黙って席を立った。
隣の席で男たちが喋っていた。
「外人の食い物は口に合わんが、パンだけは旨いもんだ」
「わしも収容所では、毎日パンを買いに行った。生まれて始めて、パンを腹一杯食った」
「サトウ付けて食ったらもっと旨かろうな」
「そうよ。サトウも買いたいと思っても言葉が分らんからな。明日は覚えて買おうと思っていたが買いそびれた」
「通訳さん。サトウは何と言うですか?」
向う側から男が運平に訊ねた。
先着した一カ月の問に彼は必要と思われる日用品の名はコツコツ覚えた。ペラペラ喋られると全然解らないが単語だけならかなり覚えた。
「アスーカルだ」
運平は即答した。
「えっ!」
相手は目を丸くした。それから、
「通訳さんは若いが冗談の面白い人だ。おい、小牧さんサトウは明日買うんだとよ」
と、大笑いした。
「明日買う、じゃない。アスーカルだ」
運平は訂正した。
「ほら、やっぱり、明日買うだと言うてなさる」
案外それで通じるかもしれない、と思って運平はアイマイに頷いた。
彼はそういうことにこだわらない。アスーカルでも明日買うでもいいじゃないかと思う。楽天家でもあった。