小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=12

 だが実務家的な面もあった。農場入りに備えて日常単語をコツコツと覚えておいたのも、その一面である。それが仕事だといえばそれまでだが、他の通訳たちは必ずしもそうではなかった。
 運平が列車の中でサトウの単語を教えていた、ほぼ同時刻に、一日前にフロレスタ農場に着いていた金縁メガネの大野通訳は、移民の買物についていって「酢」という単語を知らずに目を白黒させていたのだった。液体では手真似の仕様がないので、口に酢を含んだ表情を懸命にして見せたのだが、遂に相手に通じなかった。
 汽車は火の粉をまき散らしながら、ひどく車体をゆすって大平原を走り続けた。緑の森林におおわれた丘が、行手にはてしなくうねっている。丘を切ったり谷に盛り土をしたりして鉄道を敷くと莫大な土木費を要するから線路は等高線に添って敷いてある。丘から丘へと等高線伝いにくねりながら、汽車は使いに出た子供のように、気儘に草原にでてモルフォ蝶を追ったり、森のトンネルの中を猿の群れの後をついたりしながら、全体としては北に向かって、平均時速四十㌔くらいの速度で進んでいった。
 あれほど朝早くサンパウロを出発したのに、グァタパラ駅に着いたときは夕暮れが迫っていた。
 一日中固い木の座席に坐って揺られ続けていたので、人々はグッタリと疲れていた。
 最後尾の移民専用客車は切り離されて、農園専用の分岐線に乗り換えた。小さな機関車が曳いた。
 終着駅はコーヒー園の中にあった。
 グアタパラ農園には二百十一万本のコーヒーがあった。それは緑の海のように見えた。大きくうねった波がそのまま停止してしまったような景色だった。そして茶色い瓦の駅や農場本部の建物は、広い海に浮ぶ小さな岩礁のようだった。
 二十三家族の移民たちはその大きさに圧倒され息をのんでコーヒーの樹海を眺めた。
「広いもんだのう」
「なんとまあ!」
 嘆声があちこちで洩れた。
 島国の日本で育った人々の想像を絶する風景だった。
 二百十一万本のコーヒーはとうてい一望には収められない。向うにかすむ丘の、その向うにもコーヒーの海が拡がっているのだった。不意に、人々は自分が頼りなく小さい存在に思えた。あまりに巨大なものの前に素手で投げ出されて、心細かった。
 人々は黙って、お互いに寄りそった。いつの間にか平野運平のまわりに八八名がかたまっていたのだった。

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