小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=13

 停車場の前に牛車が二台待っていた。車輪が大人の丈ほどもあって、一台を八頭の牛で曳く大掛りな牛車だった。
 数人の男がそのそばに立っていた。
 一人の男が移民の群れに歩みよって来た。中背で暗い褐色の髪をした五十過ぎの年令の痩せた男だった。平野も前へ進み出た。
「私はサルトリオ。グアタパラ農場の支配人だ」
 と男は言った。
「私、日本通訳、平野運平です」
 二人は握手した。
 仕事の上で紹介された場合は、力をこめて相手の掌を握った方が活動的な信頼感を与える、というようなことをすでに理解していた。サルトリオ支配人の心をつかむような意気込みで、運平は握手した。相手は痩せがたなのにガッシリした手をしていた。
 サルトリオは色々と話しかけた。
「シンセニョール。有難う」
 と運平は答えて、手荷物を牛車に頼むように後ろの人に指示した。
 充分に解りはしないが相手が言っていることは大体見当がつくような気がするし、当然、この牛車は荷物運びに来てくれているにちがいない。移民たちは今や運平一人が頼みの綱だった。彼の言うがままに動いた。
 コーヒー園の中の径は砂質土で歩きにくい。
 行手の一きわ高い丘の上に、緑に囲こまれた白亜の館が建っていた。耕主の家だった。この農園は七人の出資による合資会社になっていた。その一人が園主としてあの館に住んでいる夕映えのコーヒー園を見下ろしている美しい舘は移民たちの夢の象徴のようにそびえていた。

 ――人々はコーヒー乾燥場のそばの大きな食堂に案内され、サルトリオ支配人が歓迎の演説をし運平はその幾らかを訳して伝えた。
 夕食が配られた。外人の食物は油っこすぎてさほど旨いとは思えなかったが、空腹だったので沢山喰った。米が出たのも有難かった。豚脂でたいたピラフでなかったらもっと旨いのに、と皆は思いながら食べた。
 夕食が済むと、牛車が再び動き出した。日はとっぷりと暮れ、冬の澄み切った空に星が大きく輝いていた。気温が降って耳や手の先が冷めたかった。牛車のわだちがギユーイギューイと耳ざわりなほど軋んだ。
 満腹感とはうらはらに未知の生活に入る不安が四辺のの暗さと寒さと混りあって、人々を無口にしていた。疲れがその上に重くのしかかっていた。
 少し歩くと牛車は停った。

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